《ここだけの 話を聞いて 何気なく》

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 情報が集まってくる立場にいる人と,こちらの所用で短い会見をした折です。用件はすぐに済んでしまいましたが,そこでその方がやおらデータの一覧を取り出してこられ,説明をしていただきました。ある調査の数字が上昇したいきさつを熱弁されました。ただ,それはある方たちの評価にも関わることでもあり,側にいる部外者である身では,聞いてはいけない情報でもありました。これまでの深い付き合いと信頼の間柄ということで,お話しをいただいたものです。お別れするときに,ここだけの話ですという言葉がお互いの確認になりました。
 ところで,全体数字の上昇の足を引っ張っている,数字の上がらない部署が残っているという話もありました。どうしてかという考察とどうすればという対策について意見を交わしました。新しい支援を請じ入れる必要性を認めることで一致しましたが,その支援を担うべき集団に少なからず縁を持っている自分に思い至りました。多少なりの後押しをしてやれるかもしれないという気にさせられました。それとなく情報を与え,阿吽の呼吸でバックアップを誘い出そうという腹芸でしょう。それが意図したものであるのか,ただの成り行きでしかないのか,判断できませんが,いずれにしてもよくなることなので,気に留めておくことにします。
 一般的に,「ここだけの話」という会話は,親密な仲になる手段であり確認です。ところが,秘密を持つと語りたくなるという弱みを発揮することもよくあることです。その弱みを利用するために秘密めく情報に装うという技もあります。いずれであるかは,間柄の親密度で決まってきます。
 「ここだけの話」には,秘密の話ということの他に,「知っていて欲しい」という情報の共有というねらいがあります。知っているかいないかで,行動が変わります。その変化が期待されるのです。話はここだけで止まっていますが,その後の振る舞いはここから出発していくのです。人に合うということによって,人の振る舞いはあみだくじのように向きを変えていくことになります。そんなことが起こっているとは,ほとんど意識はしていません。朱に交われば赤くなるのです。「ここだけの話」が朱に相当します。

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(2014年09月21日号:No.756)