《ありのまま 自分を見てる 自分の目》

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 「ありのままでいい」という甘言に懐疑的であるという意見を目にしました。「ありのまま」を「今のままで」と理解しているとして,将来を見ていないのは如何かということのようです。確かに,これから育っていくはずの子どもが,「今のままでいい」と思い込んでしまうことの危うさがあります。いろんなことが未熟なままでいいというのは,不自然でしょう。今の子どもたちの有り様には向上意欲が見られないと感じられるので,あながち的外れな危惧ではありません。
 「ありのままでいい」という言葉を,ありのままに受け止めることもできます。この言葉を自分に対して向けるときには,自分を卑下することもなく思い上がることもなく,ありのままの自分でいいと認識することは大切です。ただし,「今は」という条件を付けておかなければなりません。今のありのままの自分を認めた上で,明日の自分を目指すことができるからです。すなわち,「ありのままでいい」ということと,「明日への成熟」とはお互いに排除し合う関係ではないのです。それぞれに矛盾しないつながりが可能です。
 「ありのままでいい」という言葉への異常とも思われる世間の共感は,その背景に対する洞察を求めているはずです。何故,多くの人がありのままでいいと思いたがっているかという疑問です。その背景には,ありのままではダメという雰囲気,ストレスがあるのです。ただ,どうあればいいのかという具体的なイメージがないために,状況は閉塞していて,漠然とした不安感に包まれています。ありのままでいいと自分に言い聞かせることができるなら,得体の知れないストレスを解消できるのです。
 「ありのままでいい」と言ってくれる人がいた,それがたとえアニメの女性であれ構わないという,追い詰められた状況にあったと考えることもできます。人に言われることではなくて,自分でそう思えばいいのです。しかし,情報社会につかまっている人は,自分で決断することを放棄して,人の思いや意見を尊重し,従属する傾向があります。いわゆる,「みんな」の意見にならうのです。それは,時には風評とも言われるものです。
 ありのままでいい。それは自分を取り戻したいという本能の叫びです。自分のことは自分で決めることがごく自然なのだということに気付いたのです。そのことは喜ぶべきことです。ただ,自分を取り戻した,そういう感激に酔いしれている閑はありません。自分を取り戻したら,自分はこれから何をなすべきか,そこに気持ちを寄せていかなければなりません。どう動いていくのか,期待したいのですが・・・。

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(2014年09月28日号:No.757)