家庭の窓
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最近の暮らしの形を振り返ってみると,人と何かを成すことに連れ立って過ごしてきました。いわゆる仕事をしてきました。定職からは離れましたが,非常勤という形とはいえ,幾ばくかのお手当を頂いているということで,世間と関わっている部分もあります。
退職後は,世間から離れて,自分の生活をする,いわゆる悠々自適というのが普通なのでしょう。改めて振り返ってみると,自分の好きなことをしてと考えても,これをしたいということの思い浮かばない寂しい状況です。
趣味の世界で人と関わるということがあります。しかしながら,いわゆるプライベートな人間関係は,家族しか持ち合わせていません。自分の時間は自分一人でいたいというのが,好みです。筋の違う人間関係が7系統ほどあるので,結構多忙であり,これ以上の関係を求める暇もありません。そのような中で月に数日ほどの空白日は一人になっていたいという渇望が自然でしょう。
冒頭に仕事をしていると書きましたが,利益を求める種類のものではありません。ボランティア的な社会活動なので,追いかけられることはありません。緊張感がないわけではないのですが,ストレスになることはありません。和気あいあいと楽しい時間を過ごさせてもらっています。
人目には,好きでしていると見えているかもしれません。それを認めるとすれば,ある意味で趣味に生きているということになります。旅行に行くといった自前でお楽しみに耽るという世界とは無縁であり,これでいいのかと思う瞬間もほとんどありません。
いくつかの系統のお付き合いで,いわゆる長という立場にあることで,準備という陰の仕事が付随してきます。考えるという作業が四六時中存在している状態です。事情を分かっている方がときどき,系統が違うので切り替えることがたいへんでしょうと気遣ってくださいます。
ただ,考えている当人は,真っ直ぐ一本道を進んでいるつもりです。そうでなければ,破綻しているはずです。人間関係の広がりは,欲望が入らずに成り行きに任せていれば,それなりにきちんとまとまっていくものです。その人に似つかわしい関わりだけが実現していきます。無理なことは舞い込まないような采配がされているようです。
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