家庭の窓
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購読紙の片隅に記者による160字ほどの小さな囲み記事に目が留まりました。牛肉の加工場の見学をしたときに,一つの事実に出会ったという内容でした。肉牛が生きたままで搬入される様子を見て,歩き方がおかしいと気付き,説明を受けると,目が見えないためということでした。脂肪を増やすために,身体に不可欠な栄養分が入っていない飼料を食べさせ続けた結果というのです。脂肪を増やすために目が見えなくされた牛がいるのです。飼料ではなく放牧して草を食べさせる取り組みが進んでいるそうです。
脂肪の多い肉が好まれるという経済的価値が,牛の本来の生きる姿を損なっているというのは,嗜好への迎合の行き過ぎです。美味しさの追求はほどほどにしておかないと,過ぎたるは不幸の元になります。食は命を頂くことという原則から逸脱すると,自然からの反撃を招くことになります。健康な命を頂く,その一線は食する者の礼儀でしょう。
植物の食材についても,旬を外れることが普通になりました。遠来ものも普通になりました。その結果が食物自給率に反映しています。都市と農漁村が混在してこそ,ご当地の旬のものをいただくという自然な食生活が成立します。農漁村が消滅するだけではなく,自然が消えていきます。遠い異国の自然に依存するという流れが行き着く先にあるのは,どういう食世界でしょう。
人口の増加に見合う食の増産はできないと聞きます。ただし,例えば,穀物類は,食肉動物に回している飼料としての使用分を減らせば余裕が出てくるということです。豊かな食事が健康の増進に寄与し長寿が実現されたということに異論を挟むことはありませんが,豊かな食事の内容に歯止めがないことを心配します。足るを知るということです。メタボや肥満という自らの姿をきちんと見つめる節制が,本当の豊かさをもたらしてくれるはずです。
食は自らの健康を維持するために健康な食物をいただくことです。健康な食物とは,食べて安心,食べて栄養となるというだけではなく,健康に生きているものでなければなりません。有機野菜という価値も,その一環です。虫も食べるほど健康な野菜,そういう価値が望ましいのです。
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