《本当の 親の思いを 置き忘れ》

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 新聞のコラムに,子どもに対する思いについて書かれていました。
 「子どもの遊ぶ声がうるさい」という苦情が増えているそうだ。東京では先月,保育所の近くで手斧を持った保護者を脅す事件が起きた。
という書き出しで始まっていました。その事件の記事を読んだ記憶が蘇りました。一方で,待機児童の解消ということで保育所を開設しようとすると,近隣の住民の中にうるさいからと拒否される方がいるので,建設できないという事態がおこっているという情報にも,子ども関係の会議の中で出会ったことがあります。
 コラムには年賀状についても書かれていました。
 「子どもの写真を印刷した年賀状はもらいたくない」
という意見もあるということです。親族やよほど親しい知人ならいざ知らず,大人のお付き合いの仲で,子どもの写真を送り付けてくるのは興ざめします。筋違いでしょうという感じになるのでしょう。子どもが好きではないというのではなく,大人の話に子どもが割り込んでくる無礼さです。いわゆる公私混同は望ましくないということです。
 ところで,子どもの遊ぶ声がうるさいという感覚と,年賀状の子どもの写真は不愉快ということは,コラムで取り上げているように同列に扱えることではありません。遊ぶ声というのは,こちらに向かってくるのではないのです。年賀状は無理矢理に押しつけられるのですが,子どもの遊ぶ声はそばを流れていく風の音,夏の朝のセミの鳴き声がうるさいというのと同じです。やり過ごせば済む,聞き流していくべきものです。かえって,生きていく上で頑張っていると,応援することもできます。
 子どものことを考えると,どうしても少子化が念頭に浮かびます。趨勢が少子化である背景には,子どもが好きではない,苦労するという成人の意識があるのではないかと感じることがあります。少子化になっていくのは,昔と違って,子どもを産む産まないを当事者が決めるのが当たり前になっているということと関係しています。人の誕生を勝手に決めてしまう勇気を喜ぶべきでしょうか。かつて親が子育てに苦労するなかで,子どもは親の心をしっかりと受け止めて素直に育っていたはずです。
 子育てを苦労と感じるのは,人間だけでしょう。いや違います。一事をすべてに当てはめるのは論理の破綻です。人間ではなく日本人の感性というべきです。そういう感性を持つことが豊かさへの発展であるとするなら,それは種の交代のために仕組まれた滅亡への甘い誘惑のシナリオです。絶滅危惧種ということになります。確かに勝手な推論ですが,的外れであると断言できないのが無念です。

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(2014年12月07日号:No.767)