《本当の 生きる姿が 縁結び》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 近隣の人間関係が希薄になったことによって,現在の人は生きづらくなっています。孤独,孤立という境遇を招き寄せていることを,なんとなく感じているはずです。NHKが無縁社会という言葉を創作して,シリーズ報道をしていました。地縁を失って皆が幸せになるのであれば,何も気にすることはないのですが,想定外の事態に向かっているのではという惧れを払拭できないのはどうしてでしょう。
 新聞に弁護士会による相談事例を模したQ&Aの囲み記事が載っています。

Q:私が所属する町内会にはごみ捨てについて独自の厳しいルールがあります。法律や自治体の条例であればともかく町内会が決めたルールを守らなければならないのが不満です。

 誰が決めたかでルールの価値が決まると考えているところが不可解です。町内会ごときが差し出がましいことを言ってくるのが気にくわないと駄々をこねています。自分が暮らしている地域社会をよくしようという皆の意向を,頭ごなしに否定する偏狭さを自覚してほしいものです。

A:町内会独自のルールに法的義務があるかはさておき,住民が生活の利便性向上のために設けたもの。まさに「自治」で一定の尊重は必要です。ルールがおかしいと思った場合は頭から否定するのではなく,法的思考に基づいてルールを分析してみましょう。

 回答では,守らなければならないという義務の有無については触れていません。法的な判断には馴染まないということなのでしょうか,それとも諸説あって判定不能なのでしょうか,門前払いされています。まさしく「自治」というスタンスで判断すべきことです。お上の決めたことなら従わざるを得ないという古い感覚の裏返しを見ているようで,自分たちで考えて決めるという発想が希薄です。
 人間関係がおかしくなってきた背景に,自意識の狭さがあります。すなわち,自分と他者が対立している関係の座標上で暮らしています。自分たちという広がりを失っているので孤立します。大家族から核家族に分離し,さらに孤族にまで分解してしまった家族は,自分たちという発想の基本を育てきれなくなったようです。社会性は自分たち,私たちという意識によって発揮されるものです。私たちという関係を意識するために,「縁」という概念を発見していたのですが,あっさりと置き忘れてきたのです。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2014年12月14日号:No.768)