《好きだから 好かれてるとは 勘違い》

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 バスの後ろに信号待ちで並んだときです。動物病院のCMパネルが目に飛び込んできました。「ワンちゃんネコちゃん・・」という字を追いかけているうちに,ふと何か妙だなという感じになりました。それほど強いものではなくて,ごく微かな引っかかりでした。
 ワンちゃんというのはイヌの鳴き声から来ています。揃えるならネコちゃんではなくて,ニャーちゃんかミャーちゃんでしょうか。ネコちゃんに揃えるなら,イヌちゃんになるはずです。でも語感としてはやはりワンちゃんネコちゃんになりそうです。この不揃いさが微かな気がかりになったのでした。
 似たようなことはほかにもあります。割引の反対は割り増しで,割足しではありません。高価の反対は安価や廉価で,低価ではありません。寒暖の差と言いますが,寒暑の差とは言いません。冷暖房なら落ち着きます。寒帯,冷帯に対しては熱帯,温帯,暖帯といろいろです。
 老若男女と言います。老人,若人,女人と言いますが,男人はあまりお目に掛かりません。年取った人と言いますが,年取らない人とは意味の上で反対になりません。優男と言いますが,優女とはあまり言いません。縁遠いと言いますが,縁近いはありません。
 言葉がなぜ不揃いになっているのか,言葉の生まれた時代背景から考察できるでしょう。ただ言えることは,言葉は使う人の思いを素直に表現しようとして生まれてきたということです。聞く人のものではありませんし,ましてや普遍的な意味の体系をあらかじめ想定して作られてはいないということです。
 「疲れた」と言う人が疲れているのであって,聞く人は一向に疲れてはいません。「うれしい」と言う人がうれしいのであって,聞く人は何ともありません。ただ聞く人に「疲れた」という経験があれば,フラッシュバックして思いやることができるだけです。
 言葉は話者のものであることがコミュニケーションのギャップを生みます。そんなつもりで言ったのではないという聞き手側の誤解が生じます。自分の気持ちを言葉で伝えたつもりでも相手には伝わっていないことが起こりえます。
 この言葉のすれ違いは悪いことばかりでもありません。文学作品を書くときに細々と書き過ぎないことというアドバイスがあります。正確に伝えようとすると詳しく書くべきだと思われるかもしれませんが,文学作品は半分は読者のものです。読み手の言葉がスッと無理なく組み込めるように,飾りの隙間を作っておくのです。言葉の間や行間に読者の思いが入れば,その作品は読者一人ひとりのものになります。同じ作品でも感想が違ってくるのは当然であり,それが文学の存在価値だと言えるでしょう。

(2001年09月23日号:No.77)