家庭の窓
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全国14,000人の組織で,26年度に予算が付いて,100名を集めた研修が東京で開催されました。50地区都道府県あたり各2名という参加で,出掛けることになりました。今後10年間,継続される予定です。県から2名ということですので,研修の組織に対する成果は微々たるものです。中央での開催のねらいの中に,この研修を各地区で伝播することがありました。なるべく周りの人に伝えてほしいという願いです。都で習ったことを国に持ち帰って皆に教えるという,古典的な知識の伝播方法です。
組織における活動は,連鎖しています。人から人へ受け渡されていきますが,担う人の結節点毎にいくらかの欠落と紛れ込みが発生します。知識の伝播については,伝える人による意図しない脚色と選別がなされて,変更が進みます。研修の成果を伝えるために,本番の研修のビデオが配付される予定ですが,それを視聴することで,伝播のリスクを軽減することができます。ただ,東京での研修は4日間でしたから,そのまま伝えるとすれば,4日かかることになります。
研修というものの限界として,話者側と聴者側で,必要性に関する差違があります。聴き手が聞きたかったこと,その部分だけを受け取っていきます。聴き手の選択がかかるので,研修すべてが持ち帰られるわけではありません。研修の成果としてはかなり縮少しているはずであり,次への受け渡しの分量は4日分よりかなり減っています。結果として,私が学んだこと,そういう限定付きの伝え方になっていくでしょう。それでも,地区特有の問題意識が共有されていれば,皆が聞きたかったことを伝えることができます。
伝えるという気持ちがあると,聴き手,受け手にとって有益な知識は何かという推測をしなければなりません。私が学んだことの他に,皆のためになることとして付け加えるべきことは何かないだろうか,そういう検討作業をします。その選択が的を射ているかどうかは不確定ですが,研修を伝える上での礼儀でしょう。受け取った情報を,それなりに整理し直すという作業も必要になります。生の素材を口に合うように味付けするということです。
どの情報をどういう風に処理するか,考えることにしましょう。伝承の役目を果たさなければ研修のけりが付かないのです。
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