家庭の窓
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女性は暇だと幸せを感じ,男は忙しいと幸せを感じる,ということだそうです。そう言われてみると,自分には思い当たります。でも異性については,本当にそうなのか,分かりません。連れ合いに尋ねてみるしかありません。人は無意識に自分を基準にして,人の思いを推し量ります。夫婦で,幸せになろうねという場合,お互いの幸せが違っているとは思いもよりません。だから,結婚は自分を殺す仕儀となるのでしょうか?
似た者夫婦という言葉があります。あることをどのように考えるかというとき,知らなかった考えに出会うと,持ち合わせている考え方と付き合わせてみようとします。同じことを言っているのか,違ったことになるのか,確かめたくなります。幸せの感じ方が違う夫婦は,似た者夫婦ではないので,長続きしないと言えるのでしょうか。似た者夫婦は,幸せの感じ方も似ていると言えるのでしょうか。
二つの推論を直接結びつけてよいのか,検討しなくてはなりません。独立した男女の場合と夫婦関係にある男女では,条件が異なるということに配慮すべきかもしれません。それは話が別でしょう,ということがよくあります。今の場合では,暇や忙しさが幸せであるいうのは,幸せの一部でしかありません。他にたくさんの幸せの種があります。似た者という間柄も,すべてが似ているというのではなく,一面で言えることであり,違っている部分もあるはずです。推論を単純に重ねることに意味はありません。
男と女が対立しないためには,お互いの幸せ感が違うということを理解した上で,それぞれが邪魔にならないように気配りをしながら,重なる部分を意識することが大事です。夫婦が永く暮らしていると,なんとなく似てくるという経験は,お互いに折り合いをつけて重なろうと努力してきた賜物です。どこを重ねればいいのか,それはお互いが不機嫌になるところを避けていけば自然に見えてくるはずです。気まずい雰囲気を相手のせいにしないで,自分を少し変えてみる,そういう大人の対応が,望まれます。
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