《本当の 姿が見えぬ 音と文字》

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 このところ,ネットの接続に関する勧誘が頻繁に電話をしてきます。夜分に済みませんという風情など全くなく,ゆっくりしたい時間に遠慮もなく乱入してきます。話は,ネットを利用されていますかという質問から入ってきます。使っていると返事をすると,ありがとうございますという対応がされます。あなたにありがとうを言われる筋合いはないのですが,と切り返すと対応に困っているようです。
 次は,利用料はどれほどですか,と尋ねてきます。そんなこと見ず知らずの相手に教えることはないでしょう,と言いたいのを抑えて,分かりませんとだけ返事をします。○○ほどの支払いをされているでしょうが,それがグッとお安くなります。年間でこれくらいになりますと,説明をしてくれます。そこで,安いということで決めてはいないと返事をして,お断りをします。安ければ受け入れて貰えるというパターンの勧誘に,嫌気がさしています。
 電話一本で見ず知らずの相手と商談をするというのは,いつ頃からでしょう。電話というのは,ちょっとした連絡ごとに使うものでしょう。お金を動かすような話は,事前の面談などによる確かな了解ができている場合ならいざ知らず,いきなりの電話で通じるはずもないと思っています。振り込め詐欺という犯罪が話題になりますが,見ず知らずの人から飛び込んでくる電話で大金を動かすことが信じられません。電話では大事な話はできないという危うさを思い起こした方がよいようです。
 情報社会の特徴の一つは,音声や文字による伝達が電子化されて,相手である人物に関するたくさんの情報をそぎ落としていることです。届けられるのはわずかな情報でしかないために,聴き手が勝手に自分に都合のいいように人物像を補ってしまいます。風邪を引いて声が変わっている息子と名乗られると,息子の姿を思い描いて話を聞いてしまいます。部分情報を補おうとする人の情報処理の在り方が,騙される隙を産みだしてしまいます。
 ネット社会が匿名の世界であるということは,文字情報だけでは人を特定できる情報にはならないということです。どこの誰が書いたか分からない情報でしかないという,限定情報であると弁えておかないと,徒に振り回されるだけです。ネット情報の危うさを書いているこの文章も,同類であることは明らかです。自己矛盾の極みです。ただ,自分に向けて言い聞かせているという姿勢を意識していることで,かろうじて,矛盾を回避しているつもりです。

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(2015年03月01日号:No.779)