《本当の 根本探して 応用し》

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 道を歩いていて,紐が落ちていたので,拾って返りました。ところが,お巡りさんに捕まってしまいました。なんで? 紐の先に牛がつながっていたのです。こんな小話を面白がっています。
 年度末になるとあちこちの会議が開かれます。いくつかの会議では,代表としての挨拶をすることになります。肩通りの感謝とお願いの他に,一言小話を差し挟むのがいつものことです。ちょっとした和みを願って,小話を織り込みます。
 ・・・。紐の先に牛がつながっていたのです(微かな笑いがあれば,成功!)。ところで,私たちは,つい紐ぐらいと些細なことと思ってしていることが他にもあります。往々にして,その先に人の尊厳というものがつながっていることがあります。ちょっとした冗談が,その先にいた人の心に痛みとしてつながっていきます。思いやりとは,相手の思いを推し量ることと考えられていますが,実のところ,自分が握っている紐の先に人の心があるという気配りが肝心です。自分のしたり言ったりすることは,必ず誰かにつながっていると思っておくことが,私たちが目指している○○なのです。
 このところ,代表としての指針を含めて,このパターンの挨拶をすることが重なっています。聞く人たちが違うので,あちこちで,挨拶のたらい回しをして,手抜きをしているように思われるかもしれません。もちろん,思いやりというキーワードを,その場に相応しい言葉に入れ替える手直しは必要です。つまり,大切な基本は,どの世界でも同じ形をしているということです。手抜きなど思いもよらず,基本的なことを挨拶に込めることに苦労をしています。
 分野の違うあちこちに関わらされていると,ときどき「混乱しませんか?」という質問を受けることがあります。挨拶の場合と同じように,大切なことを押さえておき,それぞれの分野にふさわしい応用をするということをしているので,ぶれることはありません。細部については,その分野の専門家に任せておけばいいのです。もちろん自分の分野はきちんと引き受けていきます。
 おそらく,この発想は理系の特徴でしょう。文系の世界を知らないので,明言はできませんが,文系の方と話していると感じることがあります。理系は物事をそぎ落として,芯をつかむ向きに思考します。一方で,文系はあれもこれもと関連するものを結びつけようとします。理系は根本を,文系は総体を,向きが逆になります。どちらが良いとか悪いとかいうことではなく,それぞれが融合すればいいのです。

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(2015年03月29日号:No.783)