《本当の 的を外して うやむやに》

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 西日本新聞4月7日朝刊に掲載された「デスク日記」は,以下の通りでした。

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 昨年7月に長崎県佐世保市で起きた高1同級生殺害事件。容疑少女は殺人容疑などで家裁送致され,現在,家裁による精神鑑定が行われているが,県と県教育委員会がまとめた「なぜ事件は起こったのか」を検証した報告書を読んでも,肝心な「なぜ」の部分が見えてこない。
 児童相談所や学校間の連携の甘さ,異変を見抜く教職員の感性の不足…。確かにそうだろう。だが,報告書は絶対的な視点に欠けていると感じた。「家族よ,親たちよ,しっかり子どもを育てて」。学校も成長の後押しに努めるが,子どもと1対1で接するなどまず家族が全力で取り組んでほしいとの「本音」を書くべきではなかったか。
 報告書は,事件の背景を行政の各部署やいろんな関係機関に責任転嫁しつつ,自省もしている感がある。県は今度は有識者らと再発防止策を考える検討会議を立ち上げた。会議と報告書。時間はどんどんたっていく。(川原隆洋)
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 この記事を読んで,それを新聞が言うかという感想が真っ先に出てきました。子どもが不始末をしてしまったとき,矢面に立つのは「学校長」であるというのが普通ではなかったでしょうか。子どもの親を直撃しているマスコミ記事を見たことがありません。子どものことは親が表に立つべきであり,他人である学校長に学校外の子どもにも関わるべきであるというのは筋違いです。
 たとえ教室でのいじめについても,いじめをする子どもの親が先ずは対応すべきです。教室でのいじめ行動を制止することは学校の責任であるとしても,学校外のいじめを制止することや,さらにはいじめをしない子どもに育てる責任は親が引き受けるものでしょう。学校は学ぶところであって,それ以上のところではありません。
 親が子どもの反社会的行動に対する責任を負う,負うべきであるという社会的コンセンサスは,これまでマスコミからは伝わってきていません。子どものことは学校に負わせるというパターンを作り出してきたのは誰であったか。被害者がいる場合は親子揃って表立たせる一方で,最も原因情報を開示すべき存在である加害者の親はプライバシーという隠れみのが必要だとしても,片隅に押しやられていました。学校は責めやすいという本音があったりとか,と勘ぐるのは不謹慎でしょう。
 本音を書いてこない新聞が,本音を求めるとは。人のことはよく見えるということでしょうか。

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(2015年04月12日号:No.785)