《本当の ことが見えても 動かせず》

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 「この階段利用で,約5キロカロリー消費できます」。地下鉄の階段に張り紙されているそうです。お腹周りを気にしている時はじっと座っているときです。運動をすればいいと思いながら,その暇が無いと諦めています。移動するときは疲れないように楽なエスカレーターを利用します。言っていることと行っていることがつながっていないことに,気がついていません。カロリーの消費をするのは運動であると思っていながら,階段を登る疲れは運動ではないと思っている,その浅い認識が迂闊です。
 カロリーを消費しなければ蓄積するという状況を気にするのなら,その根源であるカロリーの摂り過ぎに気をつけることが本筋でしょう。腹八分という言葉もいつしか消えていますが,身体のリズムに合わせたカロリーの摂取がされていないこともあるでしょう。例えば,朝食を摂らずに,夕食を取り過ぎたり,時間が不定期であったり,高カロリーの嗜好に偏食したりして,身体がカロリーをため込むように仕向けているようです。
 野生動物に肥満はありませんが,人の飼われている動物には肥満があります。豊かさを求めてきた人間の欲望が,このあたりでいいだろうという歯止めを持っていなかったために,いささか暴走気味になっています。何事にもほどというものがあります。動物は自然環境という制限の中で生きているので自らに歯止めを必要としませんが,人は自然を変えてきたために自然の制限をゆがめてしまいました。
 富の南北格差,先進国と途上国の間のエネルギー格差というゆがみです。先進国では高カロリー生活をしている一方で,途上国では低カロリー生活を強いられています。足るを知るという抑制の勧めがありますが,人にとっての自然の代替である社会システムに組み込まれることはありません。
 子どもでも思い至る程度の状況認識ですが,そこから課題を導き出して,具体的対応をするところにつながっていかないというのは,どういうことでしょう。人が矮小化された世の中では,無力感にとらわれて,だれも行動を起こさなくなっています。最近の地方統一選挙の投票率の低さも,同根です。国際化,情報化という流れは社会の肥大化をもたらす一方で,相対的に人を縮小化します。自らで作り出した社会が人を置いてきぼりにして走り出したような惧れを感じます。
 しかしながら,悲観に滑り込んでいくかといえば,そうでもありません。人の永くて短い歴史の中では,いつも自分が生きている時代の不都合な真実を抱えることに直面したはずですが,訪れる時代の転換によって回避されてきました。ただし,そこでは,主役の交代が必然でした。生者必滅という痛みを伴う再生なのです。太った豚はやがて憐れな末路を迎える運命であることは避けられないようです。早くやせておきましょう。

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(2015年04月19日号:No.786)