《本当の できる課題を 考える》

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 会合の合間の談笑の際に,「新聞!読みましたか」と問われることがあります。その場のメンバーと共有するようなネタが思いつかないので,「いいえ」と答えるしかありません。その後,「こんな記事があった」と話してくれるのを聞きます。そういう記事であれば話題になるものだなと思うことがあります。そこで,言い訳ではないのですが,「今朝の新聞はまだ見ていない」と相づちを打ちます。
 地元紙を購読していますが,新聞に目を通すのは翌日です。気になった記事を切り抜いているので,翌日に目を通しています。当日に目を通しておけばいいのでしょうが,切り抜くのはとりあえず用が終わった時点と思っているので,つい翌日に回しています。仕入れている最新の情報は,昨日ではなく一昨日の情報になります。もちろんテレビからもおおよその情報が入ってきますので,それほど遅れているという感じはしていません。ただ,新聞の片隅にある記事は遅れています。
 今朝も数点の記事を切り抜きました。その一つは,大学生に臨時教員免許を与えて中学の授業を受け持たせたという出来事から始まるコラムです。どうしてそういうことになったのか,それは教職員が足りない,それは休職の多さがあるから,なぜ休職を,指導の多忙や保護者対応に教員のストレスがあるから。いじめ,不登校,虐待や貧困,学校・家庭を取り巻く課題は多い。その中で教師が余裕を持つには。どんな仕組みや支持が必要か,あらためて考えたい。と結ばれています。
 最後まで読んで,「何だ! あなたは何も考えていなかったのか! 課題ならあなたに言われなくても誰でも知っている! 解決に向けてあなたが何をどう考えたかを書かないのなら意味がない!」そう感じてしまいました。現場ではどうすればいいかあらためて考えるといった戯言を吐く暇はありません。こうしたらどうだろうかと常に何かの手立てを試しています。こうすればいいと考えている暇があれば,課題に向かって取り組んでいかなければなりません。解決の糸口は渦中に飛び込んでこそ掴めるからです。
 大学生に臨時教員免許を与えて急場をしのいでいるように見えて,実はそれが現場でできる解決策であることを認めなければ話が始まりません。考えるときには「こうあるべきだというもの」を求めます。あるべきものとは,ほとんど実在しません。それよりも,実在するものを活用するしかないのです。家庭や学校の教育力が低下しているのは,社会の流れであり,社会変革しか手はありません。それにあらがう歴史的大転換を起こすことをしないのであれば,現実的という対処しかできません。
 教師にストレスを与えている社会そのものが,あるべき姿?から外れている現実を認めるストレスを受け入れるべきです。その跳ね返りがあるから,社会は曲がりなりになんとかなっているのです。

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(2015年06月28日号:No.796)