《本当の 音楽知らず 酔ってみる》

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 ネットラジオから流れてくるシューベルトの交響曲第8番ハ長調を耳でとらえながら,右手で指揮棒を振る仕草,左手はカップを握って口にコーヒーを運んでいます。頭の中の空間はさながらホール状で,オーケストラの響きが渦巻いているようです。ついメロディを口笛でなぞっています。身体を空っぽにして,音を包み込もうとしています。若い頃になじんだ時間を再現して,今の時間をタイムスリップしている感覚に浸っています。
 音楽的な素養は全くなくて,音譜を読むとか,楽器の音色を聞き分けるなどの能力はなく,ただ音楽そのものを身体に吸い込んでいるだけです。音楽に身体を泳がせているという感じかもしれません。美味しい食事をいただいても,それがどういう食材であり,どういう調理で生まれているかといった知識なしに味わっているようなものです。そんな素人には本当の美味しさは分からないといわれれば,その通りです。自分の身体が心地よく喜ぶ,それだけで十分なのです。
 目を閉じていると,赤みがかった暗闇の中で音楽が自由に舞っているような感覚です。音楽を聴いている主体は消えて,音楽に同化しています。音に同化という矛盾を感じる理性も消えています。音以外何もない世界,自己の存在も意識できない闇の世界,一種の無の世界なのかもしれません。無我の境地というものがどういうものか弁えていないので,その方面への論理の展開は止めておきます。
 楽章の隙間の無音の時間,そのわずかな時間には,次の楽章の出だしが闇の中で陰のように響いてきます。やがて,陰が待ってましたと響いてくると,身体は震えるように共鳴します。音の空間が揺らぎながら心を包み込んでくれます。右に左に上に下に,強く優しく,弾んで止まって,広がり縮みこみ,何かが心地よくうごめきます。そして、曲は終わりを迎えます。音楽の旅を満喫して,我に返ります。異次元にワープしていた至福の時は,次の逢瀬を楽しみに去って行きます。

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(2015年07月12日号:No.798)