家庭の窓
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地元紙を一日遅れで切り抜いているという話はすでにしておきましたが,その続編です。現在関わりを持っている専門分野,暮らし,一般時事といった雑多な記事を取り出しています。興味を引くものの一つは,知らない言葉との出会いです。特にカタカナ語が多いようです。
「オワハラ」。学生の就職活動を就活といいますが,企業が採用内定を出すときに「よその会社は受けません」と「就活を終わ(オワ)れ」を強要(ハラ)することです。よく知られているパワハラ(パワー)やマタハラ(マタニティ)は,いずれもカタカナ語を短縮していますが,オワハラのオワが「終われ」という普通の言葉の短縮であることが気になります。ハラスメントとしての声上げが無節制に進んでいるようです。日本語の融通無碍な特徴なのでしょうか。
「ピア・サポート」(英語: peer support)。ピアサポートとは、一般に、「同じような立場の人によるサポート」といった意味で用いられる言葉である。なお、相談に力点を置いた「ピアカウンセリング」、傾聴に力点を置いた「ピアリスニング」なども類似の概念である。助けてあげたいということではなく,助かろうと共に歩むことと思えばいいのでしょうか。
「セラビューティック・ケア」。紙上には,両手で「触れる」を基本に,相手の肩や腕などをゆったりしたリズムでなでる技術で,英国赤十字社が1996年に開発,と説明されています。この記事に出合う前に,ある会合での会長あいさつの中で,「現在,人は触れるという感覚を疎かにしている。人と触れ合うことでしか温もりは伝えられないことに気づくべきである」と語ったばかりでした。以前から,触覚が生きる上で大事であることの無自覚さを訴えてきましたので,同士に出合ったようなときめきがありました。
新しい言葉が生まれてきて,知らなかった言葉が目の前にふわっと浮き上がってきて,未知の世界に誘います。そのいくつかに気ままにつきあってしまうと,歩みの軸がかすかにシフトすることがあります。そのシフトは,ものの考え方の変化であったり,関わる世界の変化であったり,つきあう人の変化であったり,さまざまな面に及びます。
日々新たな自分に向き合っているようです。食料を摂取して身体が日々生まれ変わっているように,言葉を拾い食いして精神が脱皮しています。新陳代謝が旺盛であることに感謝です。
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