《仕合わせは 苦い思いを 踏みしめて》

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 自分が生きていることについて,国が不可欠であるという意識を持たない者は,自分の利欲に引きずられて,国を裏切ったり捨てたりする,という意味合いの文章を目にしました。国とは税金をむしり取るだけの迷惑な存在であると思っていると,無ければいいということになるかもしれません。国を捨てて無国籍になっても生きていけるのかどうか分かりませんが,おそらく国籍を持っているより苦労することでしょう。普段,国の存在を意識することはありませんが,国民ということをきちんと理解することが必要でしょう。
 社会生活をするとき,安全と危険の判断が重要です。プラットホームの黄色い線の内側に立つようにしています。人との関係に言い換えると,信頼と疑惑の判断をします。突然に飛び込んでくる電話では,まずは知人か否かで耳を傾けるかどうかを決めています。
 自分に関係する領域をどのように区切っていくかという手続きがあります。たとえば,相対する人と同じ所があるか,何が違うかを見極めます。町ですれ違う人については,関わりを持たないように無視しますが,最低限の防御の気配りをしています。何らかの関わりを持つとき,同じ学校出身であるとか,同じ故郷であるとか,同じ市町に住んでいるとか,同じ県人であるとか,同じ国民であるとか,同じつながりに親しみを感じていきます。
 見ず知らずの人やなにか違う人に対するときには,うさんくさいという防御態勢に入ります。用心するのです。今高校野球の熱戦が行われています。自分の県の代表校が試合をしていると,その高校とは普段何の関係もないのに,その代表校を応援しています。他県よりも自県という選択をすることになります。国を治める方策として,敵国を無理矢理想定するということがあります。共通の敵に向かうという同じ思いを醸し出して,結束する効果を生み出すのです。誰かの悪口を言うことで,仲間意識を生み出すのも同じことです。
 人には嫉み,妬み,恨みといった負の感情があります。その隠された感情が自分に向けられることもあり得ます。用心をするのが普通です。自分は負の感情を持っていないから,誰も自分にあくどいことはしないはずという判断は錯覚にすぎません。自分との違いが大きい相手ほど,要注意となります。同じ県人であってもだまされます。同じ国民であっても殺されます。同じ人間同士という無条件の信頼は幻想です。人は神ではなく,神に創られたものとすれば,欠陥もあるのです。だからこそ,教育による修復が行われています。
 自分を守るためには,人を疑わなければならない悲しさを持っています。どの人をどの程度疑うか,それは個人で異なります。自分だけ信頼して家族を疑うか,家族は信頼して隣人を疑うか,隣人は信頼して世間を疑うか,同県人は信じて他県人を疑うか,自国民を信頼して他国人を疑うか,そういうパターンになるでしょう。もしこれが逆になると不幸です。隣人を信頼して家族を疑う,世間を信じて隣人を疑う,他国民を信頼して自国民を疑うというのは不自然です。

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(2015年08月09日号:No.802)