《仕合わせは あれっと気付いて 手直しし》

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 ユートピア(英: utopia, 英語発音: [ju??to?pi?] ユートウピア)は、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作『ユートピア』に登場する架空の国家の名前。「理想郷」(和製漢語)、「無何有郷」(『荘子』応帝王篇より)とも。現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであった。
 ギリシア語の ο? (ou, 無い), τ?πο? (topos, 場所) を組み合わせ「どこにも無い場所」を意図とした地名と説明されることが多いが、記述の中では Eutopia としている部分もあることから、eu- (良い)と言う接頭語もかけて「素晴らしく良い場所であるがどこにもない場所」を意味するものであったとみられている。
 ただし、「ユートピア」という言葉を用いるときには時に注意が必要である。現代人が素朴に「理想郷」としてイメージするユートピアとは違い、トマス・モアらによる「ユートピア」には非人間的な管理社会の色彩が強く、決して自由主義的・牧歌的な理想郷(アルカディア)ではないためである。
・・・・・・・・・・・以上「Wikipedia」より

 なんとなくざわついて落ち着けない世情から逃れようと,良き世に思いを巡らそうというつもりはありません。考えていることは,ユートピア(どこにもない場所)と理想郷という言葉のイメージです。いい加減な感覚では,理想郷といえば,どこかにある場所と期待をしています。どこにもない場所という絶望よりも,どこかにあるかもしれない場所と期待をしたいのが普通ではないかと思われます。
 世の中が進歩する推進パターンは,不便な状況,危険な状況を克服しようというプロセスの発動です。壁にぶつかるから,何とかしようと知恵と努力を注いで,乗り越えたり,風穴があいたりします。このパターンの最も大事なことは,壁の存在に気付くことです。その壁は歩いている人の前にのみ現れます。じっと止まっている人は,壁に遭遇することはあり得ません。どんなことでも構わないので,行動をしたり,考えたり,世の中の事柄と関わり合っていくことです。
 人がなにかに気付くためには,普段の状況や,当たり前のことからのずれを認識することです。よく言われるのが,大切なものの価値は,無くしたとき気がつくという経験です。闇があるから,光が見えます。無音があるから,音が聞こえます。人の検知機能は,ずれに敏感に反応します。暑さ寒さは適切な環境からのずれです。過ごしやすい環境を感じることはなく,ずれたら感じるのです。暑くもなく寒くもない,ちょうど良い環境を言い表す言葉がないのは,感知しないからです。
 今の世の中がどのようなものかを感知するためには,現状とは違うよりよい理想郷を想定して比較することが不可欠です。あれがない,これがないというずれを感知することで,改善や創造という営みを繰り出すことができます。この段階について,少し気がかりがあります。それは,見つけたずれを自らの課題とせずに,他者に押しつけること,強いることが多いということです。責める,非難するということで済ませようとする手抜きな態度は無能さを露呈していることになる,ということに気付いてほしいものです。

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(2015年08月30日号:No.805)