《仕合わせは 雀の姿 そばに見て》

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 毎朝6時過ぎ,雨戸を開けると,レースのカーテンを引きます。目の前にカイドウの木が,葉を落として,少ない葉を付けた状態で枝を伸ばしています。しばらくすると,雀が鈴なりに止まります。すぐ目の前の田んぼで朝食を摂るためです。稲刈りの後の切り株が青い芽を伸ばしています。刈り落とした米粒があるのでしょうか,毎年恒例の雀の行動になっています。レースのカーテンが白いので,外からは内が目隠しされているのでしょう,室内で動いても気取られないようです。手を伸ばせば届く距離に,雀が止まっています。
 季節が進むにつれて,太ってきたのか,冷える風に羽を膨らませているのか,雀の体型が丸くなってきます。枝を揺らしながら身繕いをしています。枝を移り渡って,あっちこっちで交流をしているような様子です。思い出したように,一斉に田んぼに降りていきます。樹木に繋がっている屋根の庇に止まっていた雀も参加します。しばらくせわしく食事をしていますが,何かに驚いたように,一斉に飛び上がってきます。羽をばたつかせて乱れるのか,身繕いをしています。小1時間繰り返します。
 雀の数が減少しているそうです。雀には住みにくい国になっているということです。人が住みやすい形に整えているので,人以外の生き物にとっては過酷な環境に破壊されているのでしょう。雀のために配慮をする人は皆無です。雀の愛護者がおられても,人の世の流れに抗することはできません。それでもまだ日本人は,刈り取った田んぼに残されたわずかな穀物まで取り上げるほど貪欲でもないので,そこそこの数の雀を養える環境ではあるようです。
 田んぼを鋤いたり,刈り取ったりするトラクターの後ろを,数種類の鳥が仲良く追いかける風景が見られます。えさがあるからであり,一方で,トラクターの後ろは危なくないと知っています。その鳥の姿も少なくなっていると聞きます。生き物たちの存在に気配りをしないと,やがて人は唯一の動物になっていくかもしれません。鶏や牛や豚という動物は残ると思いますが,それらは食料としての存在でしかありません。犬や猫といったペット,それは共に生きるものという存在ではありません。
 人は雀のことなど無頓着です。雀は人の思惑など関わりなく,この環境に適応してただひたすらに生きています。そういうお互いに独立して共存する仲間がいる,そういう違ったものが隣り合わせていることが,世界のあるべき姿でしょう。人の思惑が直接には及ばない世界,それを雀に見つけることができます。ただ,環境を変えている人の責任を自覚すべきです。

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(2015年10月25日号:No.813)