《仕合わせは 言葉豊かに 分かり合う》

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 新入社員が辞めていく理由の一つに,電話を受けることができないというのがあると報道されていました。かつては,子どもの頃に家の電話を受けると,どこの誰それさんから誰にどのような要件で電話があったかを聞き取ってメモなり伝えるなりをしていました。ところが,今では,個人が携帯電話を持つので,自分に誰から掛かってきたのかはっきりしているので,話す心構えができます。
 ところが,会社の電話では,誰から掛かってくるのか,どんな要件か,全く分からないままで受け取らなければなりません。そのストレスが耐えられないのです。この問題は,電話に限らないのではと思います。子どもから若い人まで,知らない人,初めて出会う人と普段に話す経験をしていないのでは推察します。よく知っている同年代の人としかつきあっていれば,気心知れた話だけで済みます。
 若者同士で話をする時,自分の言った言葉がどう受け止められるのかを気にすることなく,ただ言葉を無神経なままに吐き出していれば,同じ世代ですのでなんとなく通じたような気持ちになれます。対話ではなく放話になっています。それぞれが独り言を言い合っているようなものです。相手に分かってもらおうという配慮がないし,分かろうという関心も持っていません。この言葉世界に馴染んでいれば,分かってもらう,分かろうとすることが求められる対話世界はとても窮屈に感じるはずです。
 対話を重ねることの意味合いがあります。それはお互いの言葉を紡ぐことで話が繋がって展開していき,論理的な文章が現れてくるということです。文章を共有することによって,情報が正確に伝達し展開していきます。その創造的な言葉の世界が大人の言語世界です。
 それにしても,テレビが垂れ流している放話にはうんざりします。視聴者との対話になっていないので,無駄な暇つぶしを押しつけられています。だから,テレビとの付き合いは御免こうむっていますが,テレビに馴染んでいる若者の言葉感覚は心配です。単語による放言は雄叫びに過ぎず,意味を説明することは不可能です。LINEのやりとりはあまりに簡略であるために,正確に伝わらない曖昧さを含んでおり,誤解が混じり込みます。
 話が通じないというのは,怖いことです。分かってくれないと感じる時,分からない相手を責めるようになります。お互いが分かろうとしない世界では,信頼という基盤を構築することはできません。対話というごく日常的な行為は,十分に洗練しておくことが大切なのです。親子,夫婦の間の対話を時折再確認した方がよいようです。

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(2015年11月15日号:No.816)