《安らぎは 知られていると つながりに》

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 購読紙の署名入り囲み記事に目を留めるようにしています。記者という仮面を脱いだ個人としての意見や思いが綴られているのが,身近に感じられるからです。

 ▼ある地区の民生委員が「今どき、世話を焼きすぎるとすぐ『プライバシー侵害だ』と苦情を言われる」とため息をついていた。メールや会員制交流サイト(SNS)では遠くの人ともつながるのに,近くでは人を遠ざけている気がする。▼個人情報を守ろうとするあまり,人とのつながりが希薄になっていないだろうか。自分のことを知っている人がいない。相談する人もいない。それが果たして個人を守っていることになるのか。隣人も知らない家に帰りながら考えた。

 この記事のどこが気になって,ここに取り上げようとしているのでしょうか。後半部分の反転する展開です。個人情報を守ることの裏返しが,自分のことを知っている人がいないとなる指摘です。プライバシーを守ることが,誰にも知られない自分になるということです。社会とのつながりの形は知り合うということです。見ず知らずの人とは関わりを持ちません。人を認識するための知識は,どこの誰かということであり,次に何歳で何の仕事かが続きます。
 住所,氏名,年齢(生年月日),職業は,一般的な個人特定に必須の情報です。かつて,カードの申し込みをした際に,近隣市に同じ名前で同じ生年月日の人がいるというので,カード会社から問い合わせがありました。居住地の重複がないということで,別人と判断できたようです。ここまでの情報は,社会生活をする上では公表して,知っておいてもらう必要があります。諸届けに必要であるという事実,それが社会とのつながり,ひいては人とのつながりに必須であるということです。
 通りすがりではなく,いつも近くにいる人で何も明かさない人は,怪しい人,気味の悪い人に思われることでしょう。ちゃんと勤務しているのであれば,仕事の世界ではつながりを持っていることになるので,当分の間,余計は心配はしなくていいでしょう。最近流行のネット世界のつながりは,ハンドルネームという虚名のつながりである場合,特定できない人とのつながりであり,人とのつながりとは言えません。自分のことを知られていないのですから!

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(2016年03月20日号:No.834)