家庭の窓
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あちこちからサクラ見物の便りが聞こえてきます。サクラに引き寄せられる宴も開かれています。ボランティア仲間からも,桜見をしようという声が上がってきますが,年配者にとってはまだ冷えるということで,実現しません。
ところで,サクラは毎年きちんと花を咲かせます。地球という星の巡り合わせに同期した生き方をしています。何年も繰り返して生きていくものがある一方で,1年毎に生き終えて世代をつないでいくものもあります。ひまわりは1年を生きて,かろうじて種という形で命をつないでいます。
社会も年という区切りを用いて,活動を繰り返しています。新年や新年度という出発を迎えて,そのたびに少しずつ変化をして,らせん階段状に発展してきました。社会という枠組みの中で,人は寿命を生きて,子孫という世代につなげて,繰り返しを重ねていきます。どこまで続くのか,ゴールはいつなのか,先は見えません。
人にとっての地球サイクルは何かあるのでしょうか? サクラは毎年花を咲かせます。人は毎年何をしているのでしょう? 動物では,例えば発情期が思いつきますが,人ではかなり薄れているようです。毎年春になるとこの身に起こるということはありません。誕生してからこれまで成長から衰退へというワンサイクルにあるのですが,毎年を区切る出来事はありません。地球サイクルから解き放たれているから,サクラが見せてくれる地球サイクルにあこがれを感じているのかもしれません。
地球のサイクルは,太陽の周りを回転するという世界であるからです。動きには二つの形があります。回転という動きは限られた空間の中で繰り返しながらいつまでも続いていきます。もう一つは,直線という動きで,繰り返しはなく,無限に広い空間をワンパターンで突き進んでいきます。もし世界に果てがあるなら,いずれ動きは衝突します。
ワンパターンで生きている人間が,サイクルパターンの世界で生きていくために発明したもの,それが年というサイクルの想定です。年という概念を作り出した祖先の発想のすごさに感じ入ります。もし年の概念を喪失したら,何が起こるか,社会活動全てが破綻するでしょう。個人的には,今日が何日か分からなくなった認知症の一部であることに気付けば,社会全体が認知症になることなのです。
今年もサクラが咲いた。そう認知できていることはすごいことではないかと思われます。安らぎを感じるのは,地球世界とのつながりを認知できるからです。
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