《連れ愛は 些細なことで 頼り愛》

  Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 半年以上も床屋さんに行っていません。別に無精を決め込んでいるわけではありません。春頃,「自分でできるヘアカッター」という電気製品を店頭で見つけて,購入後説明書に目を通してざっと予習まで済ませました。それから,連れ合いに渡して,風呂場で散髪してもらっています。自分でできるといううたい文句を連れ合いにもできると曲解して押しつけています。
 最初はおそるおそるの手つきでしたが,回を重ねるとだんだんに大胆になってきて,まあまあ髪を短くしてくれています。きれいに揃っていなくても,特別に不揃いでないなら,格別に意に介さない質ですから,散髪屋さんごっこを楽しんでいます。「外出すると男の人の頭ばっかり見るようになった」と言いながら,「この次はこうしよう」などと考えているようで,結構おもしろがっているようです。
 何かしら新しいものに挑戦することは若さを維持する方法です。それも愛する者(?)のためにすることであれば,一層気持ちが若やぐはずです。そんな勝手な理屈をつけて,余計な仕事を背負わせてしまっています。年甲斐もないじゃれ合いに見えるかもしれませんが,所詮夫婦とは他愛のない連れあい同士が一番という心境です。
 亭主族はやはりしてもらうだけで甘えているとお叱りを受けるかもしれませんね。でも,話はよく聞いてみなければ分かりません。連れ合いが髪を染めるようになってからずっと,「今日は髪を染めたい」と言われるとビニール手袋をはめて染料を塗ってやってきたのですから,お返しでもあるのです。つまり,おあいこなのです。もう呆れて読んでられないと見捨てないでください。
 どんな些細なことでもいいですから,お互いを必要とする関係を持ってみてください。自分でやればできることでも,連れ合いに任せてみる,頼ってみるようにすれば,お互いに向き合う機会が持てます。それも定期的であれば,なお一層望ましいでしょう。逆に言えば,自分でできることは自分ですべきであると考える自立型のご夫婦は,お互いを排除しあい接点が無くなりますから必ず冷え込んでいきます。温もりは重ならないと生まれません。
 昔気質のわがまま亭主は何もかも押しつけて,愛想を尽かされそうになると途端に「お前がいないと困る」という泣き落としにすがっていたようです。お互いを必要とするのではなく,自分だけが一方的に相手を必要とする身勝手さはけっして永続きしません。仏様のような慈悲深い方でも,仏の顔も三度までなのですから。凡人同士の結びつきには,頼り合うという名のお互いへの甘えが必須です。

(2001年11月11日号:No.84)