家庭の窓
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GPKという文字を正面に掲げた帽子をかぶって,週3日の夜回りをしています。住んでいる最小の自治区内をグループの都合が付く者が回る活動も10年以上になります。行政にも認められていて,最近は幾ばくかの支援を受けていますが,基本的には会費制のグループです。支援は帽子や防寒着などの整備に使われています。
季節ごとに花の苗を行政から受け取り,交差点にある緑地に植え込み管理しています。また,小学校の下校時間に信号のない狭い分かれ道で児童の見守りを週1回のペースで実施しています。誰に要請されたのでもなく,自発的な好きでやっているボランティアグループです。地域の役に立つことを勝手にしようという不思議なグループです。
グループの構成は,いわゆる地元の人と転入した人の混合です。新旧住民の間にある見えない敷居は,普通であれば不利に働くのですが,このグループではある意味でよく働いています。地元の方が作っている農産物を転入した方がいただけることです。同じ地域に住んでいるというご縁を大事にしようとしています。
隣の地区の方から,住民の方の地域行事への参加協力が不十分で困っているので,場を設けるので地域に関心を持ってもらうように話をして欲しいと頼まれています。ボランティアグループに属しているということではなく,全く別のルートからの依頼です。
地域の特徴として,移り住んできて間もない方が住んでいる所に関心がなく,家という一点だけが大事で,家と家がつながっている地域という概念を持ち合わせていないようです。特に隣接している大都市から転入してきた方にとっては,地域における行事等が頻繁で押しつけがましく感じられているようです。
周りを見回すと,道を歩いている人はうなだれて手に持った小さな板をのぞき込んでいます。夜の見回りですれ違う人は,顔がぼーっと白く浮き上がってお化け状態です。歩いていながら,自分が今どこを歩いているのかという意識を失っています。意識は画面の中に吸い込まれて,住所不定の状態です。自分が浮遊しているのです。居場所は今足が踏みしめている所ではなく,画面の中のどこともしれぬ浮遊空間なのです。現実的な居場所の意識は置き去りにされています。
今いる場所がどういう所か,そこに向けた意識はありません。道を歩いていて,そこにどのような花が咲いているのか,どういう人とすれ違うのか,頭上にどのような形の月が輝いているのか,今自分がいる所を確認することをしていません。その延長上に,自分の家がどこにあってどのようにお隣とつながっているのかを意識しない暮らしぶりがつながっています。
心ここにあらずという浮遊した暮らしが,情報社会です。経験的に言えば,情報は言葉であり,情報社会は物語の世界であり,現実世界ではないのです。物語の世界に入り込んでいる人を,現実の世界に引き戻すことは,夢から覚ますのと同じことですので,あまり歓迎はされないでしょう。なぜなら,現実の世界は手間暇無駄がいっぱいだからです。面倒なことを引き受けなければならない,自分で動くことを必要とされる世界です。自分の住む居場所は自分の手で作り維持するということが生きることと気がついてほしいものです。
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