《安らぎは 否定するより 改善に》

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 子どもが言うことを聞かないとき,分からせるつもりで,置き去りにするというお仕置きをすることがあります。ごくありがちなことが,ごくまれに大事になることがあるもので,北海道で大騒ぎが起こりました。人や車に投石するのを止めなかったからと,山道に置き去りにしたところ,見失ってしまうことになりました。心理的な虐待の疑いがあるということで児童相談所に通告されました。テレビで松本さんが置き去りという手が封印されたと言っていましたが,大方の皆がそう思わされたかもしれません。
 7歳の男児の命を結果的に危険にさらしたことになって,やり過ぎと非難するむきもあります。ネットでも父親の責任が追及されていたようですが,ネットの反応は過剰であることを前提とすべきであり,そういう意見もあるようだという程度に思うほうがいいでしょう。それでも,親世代は気にすることになりました。置き去りという手は不適切であり,きちんと言葉で分からせるべきであるという専門家の指摘があります。でも,具体的な言葉を教えてくれる専門家はいません。
 それはいけません。そういう言い方が,あまりに蔓延しています。親の子どもに対する言葉掛けも,ダメという中途半端な指導になっています。あれこれをダメダメと言われているから,日本の子どもの長所の自覚のなさが他国に比べて際立ってしまいました。育てるということは,制止することではありません。
 育ちは進展させることであると考えるなら,どうすればいいのかを指導すべきです。人や車に投石をするのを止めさせるためには,投石の的を替えることが思いつくはずです。人や車は的として適切ではないので,適切な的を用意すればいいのです。父親の構えるミットを的にすれば,立派なキャッチボールができます。
 置き去りにするというお仕置きも必要になることがあるでしょう。置き去りの仕方を間違えなければいいでしょう。外では子どもから目を離さないことが鉄則です。親という字は木の上に立って見ると書くと言われるように,見守ることを忘れないことです。置き去りにしても,目を離さないことです。5分間の目を逸らしていたことを反省すべきです。何か不都合な事が起こると根こそぎ全否定してしまう悪い傾向があります。そうではなくて,やり方に気をつけていけばいいのです。

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(2016年06月19日号:No.847)