家庭の窓
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久しぶりに電車に乗って,乗客や景色を眺めるのに飽きてくると,目を転じて中吊りの広告を見るようになります。並んでいる車内広告を順番に見ていこうとして,気抜けします。同じものがずらっと並んでいるのです。一通り車内を見渡してしまうと,後は目のやり場がなくなることになります。目を閉じて,きょろきょろしないという慎ましさを装うしかありません。そういえば,かつて見慣れていた新聞を読んでいる人も見かけません。
奇しくも,電車の個人的経験と同じ日の新聞に,記者が通勤時に乗った地下鉄の様子を描いた記事が掲載されていました。
最近は多くの乗客がスマートフォンとにらめっこしている.新聞を広げる人は,絶滅危惧種に近い。ふと車内広告に目を移すと,空きスペースが増えた気がした。天井からの中づり広告も公共的なものが多い。地下鉄の広告取扱額の推移を調べた。車内広告のピークは2013年度の約5億3千万円だった。(中略)地下鉄の利用者は増えている.そんな状況での車内広告の減少は広告主が乗客の目線に敏感に反応していることを物語る。全国的にも電車の車内広告は減少傾向らしい。
世間の様子は変わっていきます。人は世間の変化についていくのが大変と感じています。しかし,実は,人が世間を変えていくようです。スマホという小さな情報機器に捕まった人が,中づり広告の業界を変えているのです。世間は人に合わせて変わっていくものと考えることができます。
昨日の新聞には,町の本屋さんが経営が苦しくなって消えていっているという記事もありました。最近は,ネット通販に押されているということです。ほんの少し前に言われていた活字離れという人の変化の影響に新たに追い打ちを掛けています。情報の形が活字から画面に変わったという事象が,世間の業務形態に変化を強いて,関わっている方たちの暮らしの基盤を揺るがしていきます。
人の暮らしぶりの変化は,巡り巡って世間を変えて,自分に返ってくるという循環があります。もしも生きづらい世間であるなら,まず自らを変えていくことができることであるという覚悟をすべきです。スマホは持たず,書籍は本屋さんで手にとって選ぶという暮らしぶりを変えていないので,生きづらい世間になってきたと感じ始めています。大勢はそうであっても,小勢も生き残る余裕はあるのではと,年寄りはぐずぐずしています。
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