家庭の窓
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ボランティアグループで小学生の下校時の見守りをしている関係で,警察からの防犯メールを受信するように設定しています。以前は男の下半身露出の通知が多かったのですが,最近は様変わりしてきました。急激に増えてきたのが,小学生に対する不審な声かけです。女子児童の写真を撮ったり,男女の違いなく遊びに行こうなどと誘ったりする男があちらこちらに出没しています。年齢は20歳代から70代まで広範囲です。
地域の大人として,見守りのつもりで声かけをしていることも考えられますが,声かけの内容が相応しくありません。いたずらや悪さ目的と思うと,情けない状況になっていると呆れてしまいます。弱いものいじめをしないのが男であると育っていないようです。以前から危惧していたことですが,父親が子育てを逃げているために,男の子を男として育てていないのです。母親に男を育てることは困難でしょう。男になりきれていない男たちの所行が目立ちます。
男という言い方は,今の時代では男女差別であると言われるかもしれません。しかしながら,被害者が子どもや女性でありながら,加害者は男であるという事実と向き合わなければなりません。その上で,加害をしない男との違いを明らかにしておく必要があります。そこで見えてくることは,子どもや女性という被害者を弱者と位置づけると,男は弱いものいじめをするものではない,という旧いしつけです。男としての最低限の矜持をもつことの大切さです。
男であろうと女であろうと,それぞれの持ち味,能力を生かすことが大事である一方で,使い道を誤らないためのブレーキを身につけておかなければなりません。車のホンダ社長が,車に必要なものはブレーキである,なぜならブレーキのない車には乗れない,と語っているように,人もブレーキがないと怖いことになります。男の力にはブレーキがなければならないのです。ブレーキ不整備の車,近寄りたくありません。高齢者のブレーキ踏み間違いという事故が頻発しているのも,整備不良ですね。
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