《安らぎは 人の生き様 心受け》

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 熊本地震の犠牲者の取材をしている記者のコメントに目が止まりました。生前の口癖を表情や身振りを交えて話してくれる人。「マスコミは好かん,ほっといてくれ」と言う人。妻を亡くし倒壊した家屋で黙々と片付けをしている夫の背中。「祖母との大事な思い出は胸にしまっておきたい」という孫。災害や事件事故で家族を亡くした遺族への取材については批判的な意見もある中で,記者が支えにしているのは,「生きた証を残してあげてください」という遺族の言葉ということです。

 悲しみの中にいる人とどのようにつきあえばいいのか,寄り添えばいいのか,考えるとまとまりがつかなくなりそうです。自分の身に起こった当事者になったとき,果たしてどのような態度を取るだろうかと想像してみると,記者のように身近ではない者には,「ほっといてくれ」と言うだろうと思います。直後では混乱して,人と関わるどころではなく,自分をもてあましているはずです。茫然自失の時は,心は閉鎖状態に陥っているはずです。
 時間が経過し生きていくための修復機能が発動すると,喪失した状況を受けいれざるを得ないと諦めの境地に転換ができていき,失ったものを美化する手続きを経て,心の踏ん切りとしようとします。例えば,葬儀というセレモニーです。失ったものを再確認できたとき,記憶の館に納めることができます。その時点では,「生きた証を残す」という言葉を周りの人にも託す気持ちになっているはずです。
 大切なものは失ったときに存在の価値に気がつきます。普段意識していないほどに密接につながっているということです。なくてはならないものであったのです。当たり前の存在になっているために,日頃から大切な存在としての敬意と感謝を表していなかったことが後悔となります。失った悲しみの他に,この後悔が重なると,つらさは倍増します。せめて後悔をしないということは日頃の心がけで可能なので,しっかりと感謝をしておくことです。
 災害に遭われた方の様子が身につまされるとき,大切なものに気付かされます。その機会をもたらしていただいたことに,心からの感謝をしつつ,ご冥福をお祈りしたいと思います。

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(2016年08月07日号:No.854)