《安らぎは 何かの時は 遠慮無く》

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 人は助け合って生きています。しかし,今の人の付き合いの常識は助け合いをしないことを前提としているようなもので,10の壁があるという文章に遭遇しました。これでは,いくら助け合おうと言っても誰もついてきません,となります。

  □自分の家族のことは隠しておきたい。
  □自分のことが近所で噂にされるのはイヤ。
  □人に助けを求めるのは苦手だ。
  □人に迷惑を掛けることだけは絶対にしたくない。
  □人のことはなるべく詮索しないようにしている。
  □誰かが認知症だと気付いても,誰にも言わないようにしている。
  □困っている人にはお節介と言われない程度に関わる。
  □引きこもるのにも事情がある。無理にこじあけるべきでない。
  □お互いのプライバシーは十分に尊重しあうべきだと思う。
  □他人とはあまり深入りせず,ほどほどのおつきあいを心掛けている。

 読んでみると,この10の壁とは行きずりの人との関係であって,「付き合い」というものではないと思われます。最後の項の「ほどほどのおつきあい」とは,会えばあいさつは交わすが,「お出かけですか?」「ちょっとそこまで」で,会話が終わるようなものでしょうか。つきあっているとは言えません。
 ところで,若い男女の間で「つきあっている」と言えばかなり深入りしているという感じを受けて,年配者は,つきあいすぎていると思ってしまいます。ほどほどにしておけばいいのにと,余計なお世話を焼きたくなります。
 今の人の付き合いに対する態度に,中間がないのです。全く見ず知らずの人との付き合いを0とし,親子や夫婦の付き合いを1として,その中間の値が想定されていません。ディジタル世代の感覚です。人の付き合いは,もっと融通無碍なものです。アナログ思考をする必要があります。文字通りに,ほどほどがあるのです。
 かつての付き合いには,お隣さんや,親戚のおじさん,おばさんといった,ある程度分かり合える間柄がありました。普段は格別の関わりを持たなくても,いざというときには分かり合えているので,有効な手助けが機能します。お互いに知られたくないことは知らないことにする配慮がなされます。それが触れ合いの妙なのです。

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(2016年09月25日号:No.861)