家庭の窓
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東京大学の「誕生日研究会」と称されたイベントサークルの松見謙佑被告ら5人が今年5月逮捕された。1次会の居酒屋,2次会の被告の1人の部屋にわたって,誘い出し,泥酔させた女子大生を暴行した容疑からである。何の学びをするために東京大学に通っているのか,不釣り合いな進路選考をした卑怯な男たちである。悪ふざけのつもりでちょっと度を過ごしただけという言い訳をしそうだが,世間は甘くはない。それなりの落とし前は免れないであろう。
それにしても,いい加減に止めろと言う者がいなかったというのも,情けない男たちである。特別な弱い男たちなのであるか? 事件とは関係のない東京大学3年の学生さんは,「そういう雰囲気になった時,やめろって言えるかどうか正直,自信がない」とこぼしています。「だって大学生活が充実するかどうかってサークルしだいでしょ? まじめに野球とかテニスをやるサークルだと,朝練とかミーティングとかが面倒だし,人間関係も濃そうだから,そこまでがっつり人とかかわるのは嫌だけど,サークルって重要だから,軽いノリのサークルには所属していたい。友達とかいないのってありえないし。だから,そういう雰囲気になったとき,"やめろ"って言ったら,永遠に"ノリ悪い"って言われそうでしょ。そういうのはキツい」と教えてくれます。
ノリが悪い。ノリという片仮名が出てきます。真っ当な感性から意識的に片寄っているのです。片寄っていく先は在ってはならない領域に踏み込んでいきます。反骨という片寄りは若者の特徴ですが,人としての矜持は忘れないのが常識でした。男らしさとしての,弱い者いじめはしないという歯止めがありました。歯止めを失うことは,男としての存在を失う卑怯なことでもありました。ノリが悪いと言われる程度のことを避けるために,弱者をいたぶり続けるのは,男としてあるまじき不祥事です。
どうしてこうも情けない男が育ってきたのでしょう。男の子を育てるはずの父親たちが,手抜きをしてきたせいでしょう。男としてのプライドを伝授していないのです。もっとも,そんなものはとっくの昔に胡散霧消してしまったという状況を認めるべきかもしれません。それなら,そういう世界を生きていくしかないと,若者たちが自分の世界を認めていけばいいでしょう。古ぼけた生き方をする者の知ったことではありません。男がいなくなり,子孫が絶えて,滅びていくのでしょう。まさか!
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