《安らぎは 人のあれこれ 気をつけて》

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 情報社会の中で,人はネットから必要な情報を得るようになりました。住所や時間といった客観的なデータ類は,かなりのものが簡単に入手できます。一方で,主観的な情報については,一応の参考に止めておいた方が賢明です。何かについてのコメントは,その背景にある基準によって左右されているはずです。
 ネット上のトラブルは,意見の相違ということによって発生します。炎上といった現象が起こっているようですが,ディジタル的な思考が災いしているように感じることがあります。その辺りのもつれを回避する方策を,子どもたちに教えてやる務めが大人にあります。
 表現する権利があるということで,ネット世界にあらゆる人が情報を開示しています。このコラムの窓もその一つです。マスコミを初めとして,誰にも表現する権利が認められているのです。その表現する権利が時として行き過ぎになることもあるようです。人と人との間で表現が交わされる場合,それは議論や討論という形になり,社会生活上に必要な手続きになります。そこに,確かな要件があります。表現者はお互いに責任を持って表現しているということです。端的には,面と向かっているのです。
 かつては,噂話や落書きなどのアングラ情報がありました。発信者が不明という怪しげな情報です。火の無いところに煙は立たないという理屈で,出所不明であっても,それなりに受け入れられていました。ただ,人の噂も75日という庶民の知恵で,時間経過による情報の判別がされていました。ゆったりした時間の流れがあった時代のことです。
 自分のことを表現するのであれば,他者にはほとんど関わりの無いことですので,問題は発言者自身のものになります。ところが,他者のことをあれこれと勝手に表現することは,他者にとっては関わりのあることなので,問題が生じます。表現されない権利があるからです。自分のことをあれこれ虚実の別なく他者に勝手に表現されてはたまりません。お互いに面と向かってのことであれば,まだ修復・訂正・謝罪などが可能ですが,正体を隠した表現は避けるべきです。
 情報の真偽についての問題も起こっているようです。コピペが横行したり盗用も起こっています。情報リテラシーという素養が求められています。

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(2016年12月11日号:No.872)