《聞き慣れた 声に安らぐ 二人連れ》

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 ある研修会に参加した折りのことです。講演がありましたので記録のために録音をしました。後で聞き直したら,言葉がまるで聞き取れません。確かに講演を耳にしているとき,会場が体育館であったためでしょうか,残響が重なってかなり聞きづらい状態でした。それでも,なんとか言葉は聞き取れていたので,大丈夫だろうと思っていたのですが駄目でした。
 パーティーの会場などでざわついていても,それなりに会話ができます。人の耳はあらゆる音に対して開かれているように見えて,音の処理は大変高精度に実行されているようです。録音した状態は耳で聞いた生の音のはずですが,それをあらためて耳にすると聞き取れないのは不思議です。その理由は耳の構造と関係しているのでしょうが,機会があったら調べてみることにします。
 いわゆる雑音の中でも話ができるのは,話し手から出る音以外の情報を使っているのでしょう。よそ見をしていると話を聞き逃すことがあります。連れ合いが話しかけているのに,全く聞いていなくてよく叱られます。耳には入っているはずですが聞こえないのは,音として認知していないことです。無意識のうちにフィルター機能が働いているようです。
 逆に言えば,雑音の中から音を拾うためには,話し手の口の動きを見て,その動きと同調している音だけを抽出しているようです。だとすれば,録音された講演を聴くときには話し手を見ていないので音の選択ができなくなります。そのために言葉として聞き取れなくなったのでしょう。普通,唇の動きを言葉として読むことまではできませんが,種々雑多な音の中から口の動きにタイミングが合う音を拾い出すことはその気になればできるでしょう。
 気にすると耳障りな音もあります。静かな夜に時計の音が気になるということがありましたが,最近は時計も音無しになりました。田圃に水が入ると途端に鳴き出すカエルの合唱もしばらくは聞こえていますが,やがて気にならなくなります。秋の庭から聞こえてくる虫たちの鳴き声も,ふっと聞こえて来ることがあります。
 耳はいつも聞こえてくる音を無視できるようです。騒音も慣れっこになるという経験は誰も持っています。その代わりに,急ブレーキの音や,ガチャンという突発的な音には敏感に反応します。危険を察知して身を守る仕組みが発動するということです。
 聞き慣れた連れあいの声も暮らしの背景音に紛れ込んでしまいます。気をつけておかなければ聞き逃します。甲高い声が聞こえてきたときは,危険です。

(2001年12月09日号:No.88)