《安らぎは 消えた後には 湧いてくる》

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 十数年勤めてきた専門学校での非常勤の講師を今年度で辞めることになりました。週2日の講義でそれほど重荷ではなく,適度の緊張感を生活にもたらしてくれていました。別の非常勤の勤めがありますので,全く無になるというのではないので,寂しさはそれほど感じてはいません。ただ,大学院卒業以来の専門の職を離れるという点で思うべきかもしれませんが,十分に語ってきたという気持ちの方が勝り,もういいだろうと悔いのない終焉になりそうです。
 大学,大学院,高専,専門学校で,たくさんの学生と学んできました。教えるという職は,毎年同じ学年の学生と接することになります。例えば,卒論で4年生と研究をしますが,毎年4年生なのです。相手が同じ年齢なので,こちらは毎年リセットされて後戻りをしますので,気持ちの上で歳を取るのを忘れます。ごく自然に歳を重ねるという経験がなくなってしまいます。そういう毎日をこれまで続けてきましたが,気がつくと歳を重ねていたと,浦島太郎のミニ体験をしています。
 隙間のできた一週間の予定表は,すぐに埋まってしまいそうです。これまで学校の非常勤の日程が他の活動のブレーキになっていたこともあるので,時間のやりくりにゆとりができると期待しています。もっと知りたいことがたくさんあるのに時間がないという悔しさは,少し解消できるのではとワクワクしています。地域のボランティア活動ももう少し活動時間を広げてみるつもりです。
 毎日同じことを繰り返しているのではなく,日替わりメニューのように,今日は何をする日であると予定表で確認して心身の態勢を整えています。事前の準備や事後の後始末を考えると,自由時間はありません。もちろん家事に費やす時間も削ることはできません。このコラムの執筆やメールマガジンの発行も毎週の仕事です。非常勤講師の仕事はそれほどの負荷ではなかったので,辞めても大きな生活リズムの変動にはなりそうもありません。ただ,人のつながりが一部失われるということはあります。
 過ぎたことを振り返るという気は全くないので,そういうものという感慨しかありません。いつも,今日から明日に目を向けていますので,何が起こるか,どう対処しようかを楽しんでいます。あるがまま,与えられる運命をまっすぐに受け入れていく,その歩みを愚鈍に続けていくだけです。

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(2017年02月19日号:No.882)