家庭の窓
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世間は広いというか,異なものというか,思いも依らないことがあるものです。非正規社員にエレベーターを使わせない会社があるというのです。今頃こんなことを言っているのは,よほどの世間知らずになるのかもしれません。それでも,このような差別を卑怯な振る舞いであると感じないのかと思います。アルバイトや派遣といった雇用形態の違いを作り出して労働力を確保しようとするシステムは,どのような背景によって発生したのでしょう。
千葉の方で,不幸な出来事が起こっています。パーキンソン病で要介護3である72歳の男性が,住まいの老人ホームから3キロメートル離れた病院に行きました。帰る段になって,あいにく介護タクシーを呼ぶ現金の持ち合わせがなく,病院に呼んでくれるように頼みました。病院では対応できないと断られ,そうでしょうねと諦めて歩いて帰路につきました。12月下旬のその日,老人ホームから行方不明で捜索願が出されました。
1月下旬になって,病院から1.5キロメートルほど行った川の側で,遺体となって見つかったそうです。死因は凍死ということです。タクシーを呼んであげてさえいれば,亡くならずに済みました。ほんのちょっとした余計なことですが,病院としては数が増えると対応できなくなると考えたようです。いちいち帰りのことまで気遣ってやる必要はないのかもしれません。それでも,もし・・・・と思ってしまいます。
全く何のつながりもない二つの出来事ですが,人のつながりをスパッと切っているつれなさがあります。ちょっとした気遣いを重ねることが,人としてのつながりです。手をつなぐとき,手と手が重なります。同じように,重なりがなければ,つながれないのです。人を違うとみるのではなく,同じとみることを思い出しましょう。
乗り物のつり革を素手で握れないという人もいるそうです。誰が触ったか分からないということですが,立場を入れ替えると,自分が触った後を嫌われていることになります。エレベーターのボタンを押せないという人がいたりします。閉じこもった車内で息をすると,誰が吐きだしたか分からない空気を吸い込んでいるはずです。そんなことを考え出したら,その方がよほど気持ち悪くはないのでしょうか? 下手な考えと一笑に付せばいいのです。
いつから,人は他人を差別し始めたのでしょう。人を汚いと思うことで自らを清らかにしようとしているのでしょうか。愚かな思い込みです。かつて3Kが嫌われました。きつい,汚い,危険な仕事が忌避されたのです。そのような風潮がじわじわと心をむしばんできたのでしょう。生きていることが汚い,きつい,危険なのだという洞察ができるようになりたいものです。
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