《安らぎは 今の一時 より良くと》

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 4月になりました。関わっている組織をはじめ,充て職的にご招待を受ける組織で、総会や事業始めの儀式が目白押しです。どれだけあいさつをすればいいのかという状況が待っています。お偉い来賓の方々はそれぞれの部署が用意する挨拶文をお読みになればいいようですが,そのような背景のない一人ぼっちの身では,自前を強いられます。儀式でのあいさつですから,それなりの定型はありますが,何か一言を加えなければなりません。その組み立てが難儀です。
 それぞれの組織や団体がどのような内容のものかによって,あいさつの素材も変わってきます。年度初めの儀式ですから,鼓舞するような話で明日を期待して頑張ってくださいという流れになるようです。その中で,何を頑張るか,具体的な目標の提示ができたらと腐心します。漫然とした,どこの場でも当てはまる内容であれば,あいさつを聞かされる方々は,疲れるだけです。何かしら,あいさつから気になる部分を聞き取って頂きたいと願うことが,挨拶する者の礼儀だと思っています。
 あいさつの流れの中で,季節の風情に触れることが枕になります。ところが,代表や来賓とあいさつが続くと,同じ話が繰り返されることになり,話す方も聞く方も,居心地の悪さを感じます。2番手以降は,話し始めの話材の選択に苦労します。次が,世間や社会の動きから,現状を確認しようという話になります。このような世の中だからこういうことをしなければならないという運びです。論理的に話を進めていくという作法です。
 その際に,マスコミで話題になっていることを取り上げることがあります。聞いている方が知っていることから話に入った方が聞いてもらいやすいからです。そこで気をつけなければならないことは,国レベルの話題を安易に持ち込まないということです。この場の人たちがどうにかできるものでもないことを持ち込まれても,それはよそ事にしかなりません。国民として考えるべきことではあるでしょうが,この場で話すことではないでしょうということです。この手のはみ出しあいさつは,識者風の方がなさっているようです。
 私たちに関わることを意識して,私たちにできることを考えていく,そういう分を弁えたあいさつをしたいと苦労する日々になりそうです。毎年感じてしまうことですが,あいさつを終えた後に,言いそびれたことや不要に言い過ぎたこと,反省しきりです。その反省が,次の年に生かされればいいのですが,喉元過ぎればと持ち越せないのが情けないことです。

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(2017年04月02日号:No.888)