《安らぎは 声の調子で 分かり合い》

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 メールやスマホのある暮らしを満喫している人は,知り合っている人は多いでしょうが,触れあっている人は少なくなっているのではないかと,要らぬ心配をしています。そう思っていると,関連した記事に目が止まるものです。
 「一緒にいてもスマホ」(シェリー・タークル)という書籍の書評に出会います。ノンフィクションライター黒川祥子氏による解説です。いずれ何らかの機会に話の材料として転用させていただくかもしれないと,一部を転載しておきます。

 原題は『会話の復権』。メールやSNSなど,人はもはや「機械」を通して話す。恋人ばかりか家族も,編集された文字で会話する。著者が最も危惧するのが,顔を突き合わせた会話を人が喪失してしまうことの危険性だ。最大のマイナスは,感情移入(共感)の技を磨く場を失うこと。こうして人は,「つながればつながるほど,離れていく」。とりわけ,子どもが心配だ。著者は訴える。「親は子どもとの会話不足で危険にさらされるものを,十二分に理解する必要がある。信頼感や自尊心の発達,共感し友情を育んで親密になる能力などだ」。

 言葉は心の糧であると考えているので,文字言葉の偏食は,身体健康上の偏食と同じように,よくないものと思っています。どんな悪いことになるのかとは明確に理解していませんが,バランスのよい摂取をした方がよいと思い定めています。触れるという感覚を普段それほど意識はしていませんが,もし触れる感覚を失ってしまうと,人は寝たきりの体勢しか取れなくなると知っておくべきです。足がしびれて感覚を失ったら,立って歩くことができなくなります。
 言葉による人の触れ合いを疎かにしているから,人との関係がとげとげしくなっていきます。触れあうための言葉遣いをしないで,間接的な文字遣いをいきなり人に向けることをしてしまいます。最も気をつけることは,文字言葉は感情を伝えないことです。音声言葉は抑揚や調子などに感情をある程度載せることができます。人間の関係を文字情報にだけ頼るのは不適切です。文字の羅列である書類は,業務用として適切であると割り切っておくべきです。

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(2017年06月11日号:No.898)