《安らぎは 文字を読むより 息づかい》

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 昼食に弁当を買ったり貰ったりして食べることがあります。容器を洗って返却する道もあるようですが,回収場所までに届けるのが面倒でやっていません。廃棄する際に,仕分けのための小さな入れ物を残しておくことがあります。何かと重宝します。ちょっと大きめのものは,コップなどの蓋に使うことができます。弁当の入れ物以外にも,ポリのいろいろな簡易容器がありますが,調理の際に刻んだ食材を一時入れておくのに使っています。なんとけちくさいのかと思いますが,もったいないのです。
 本来の使い道を終えても,ちょっと別の用途に使えそうであれば,再利用するために保管していくと,その先はゴミが増えていくということになります。本来の用具ではなく,一時的で長持ちしないものなので,適当に回転します。貯まっていくということにはなりません。
 豊かさをモノが多くあることと思うと,今のようにモノが溢れている生活は豊かであることになります。断捨離が言われるのはどうしてでしょう。また,食べるものも捨てるほど溢れている世の中は,昔であれば王様暮らしです。メタボになるほど栄養摂取過多になって,ジョギングをするという矛盾もおこっています。環境が豊かに,身体も豊かにとなると,頭も豊かになっています。
 情報社会では,知ることが溢れています。その中で,人間関係を見ると,ディジタル機器の発達で,多くの友人といつでもどこでもつながっていられるようになっています。豊かな人間関係が実現されました。いつでもつながっていることが当たり前になると,つながらない時間のあることが不安になります。すぐ返事を出さないと関係の忌避と勘違いされます。誰とでもつながっていないといけない,それはとても疲れること,頭がパンクしていきます。
 じっくりとつながる,親友という関係は成り立たなくなっています。隣に座っていながら,それぞれがネットにつながっている関係,そんな奇妙な人付き合いが蔓延しています。がんじがらめにつながっていながら,誰ともつながっていない,過ぎたるは及ばざるという不安定な状況から,抜け出すことが必要です。情報の断捨離です。
 人が安心できる関係とは,触れ合いがあるということです。人のつながりには,言葉がネットを通して行き交えばいいというのではなく,直接に会話ができる密着距離が不可欠です。指先がタッチするのは画面ではなく,目の前にいる人の手のひらなのです。
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(2017年07月16日号:No.903)