《振り向けば 笑顔を見せる 人がいて》

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 年末の数日は何かと気ぜわしく過ぎていきます。大掃除とお正月の準備が連れ合いとの二人連れでゆっくりと進みます。始める前には手抜きをしようと語りあっているのですが,いざ手がけると一応しておこうということになり,例年通りになってしまいます。取り立てて何をしてるのでもなく形ばかりのことなのですが,日頃手の届かないところが貯まっているせいです。
 年が改まることで心機一転の出直しをしようという覚悟ができますが,順調であった今年が来年はご破算になるかもしれないという危惧もよぎります。よいこともわるいことも水に流すことで,世の中の帳尻が合うのかもしれません。それが公平ということでしょう。
 ただ完全に原点に帰れるわけでもありません。一年の経験が良し悪しに付けて一回り人を成長させます。でもその大事な財産に気付かずに,また同じ新年を繰り返してしまうのも人の弱さです。また一つ年を取ってしまったと負の財産を数え上げても詮無いことでしょう。
 老人が尊敬されるか厄介者扱いされるか,新しい年を古い自分に重ねていけるかどうかにかかっています。年を重ねることに喜びがあれば,生き続けることの素晴らしさが手にはいるはずです。確かに身体的には盛りの財産を食いつぶしていきますが,それを対価として手に入れたものがあります。有形無形を問わず,何か一つでも気付くようにしたいものです。
 来年こそはいいことがありますように,そう願います。でもそのいいこととはどんなことでしょうか? 漠然と願っているだけで,何であるかは神様の言うとおりでは,頼りないですね。おそらく暮れになって,何もいいことがなかったと反省することでしょう。いいことを見つけられないだけです。
 神様仏様に対する作法は,古来「有り難い」,「もったいない」でした。その心は感謝です。感謝できるのは,頂戴したいいことがちゃんと見えているからです。感謝されたら神様も仏様もうれしいですよね。来年はもっといいことをお届けしようとなさるでしょう。もし,「来年こそはいいことを」と願われたら,せっかくやりくりしていいことを届けてあげたはずなのに,それを無視されるのですから,やりがいがありません。「来年からはもうやめにしよう」と思われるはずです。
 家内安全,無病息災,大過なくそこそこ元気で一年を過ごせたことを感謝する,それが庶民の平安でした。平安こそが願いのすべてかもしれません。今年も連れ合いの無邪気な笑顔に付き添って,とてもいい1年でした。ありがとう。

 このコラムを楽しみにして下さっている皆様方にも,書き続ける勇気を頂きました。ありがとうございました。
〜〜〜このコラムは12月30,31日の限定です。1月1日のお正月号もよろしく〜〜〜

(2001年12月30日号:No.91)