《安らぎは 小さい目でも 見る努力》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓


 ○○ファーストという冠をつけた団体が選挙用にあちこちに出現しているという報道が目に入ります。都民ファーストという遙か彼方と直接のつながりはないようで,ただその風にあやかろうということのようです。ファーストとカタカナで言い切るところがかっこいいのでしょうか? 普段これだと言い切ることができない閉塞感を,無理矢理ではなくさらっと開いてしまう呪文であるかのようです。
 国際化・情報化という世界では,あらゆる事が密接に繋がっていて,あちら立てればこちらが立たずという窮屈な状況になっています。その中で,○○がファーストであるといいきる切れの良さが爽快です。世間には,そのような爆発をしようとするエネルギーが貯まっているのでしょうか? 連れ合いがいながら不倫相手ファーストといった行動が頻繁に聞こえてきます。ファーストと宣言することによって,人は一線を越えようとしています。
 ファーストという宣言は,しがらみを切り捨てることによって可能になります。状況を変えようとするためには,ある程度の犠牲を伴い,それに耐えなければなりません。それを覚悟している当事者はいいでしょうが,巻き添えとなる近縁のものは迷惑です。ゴミファーストという家は,近隣には迷惑です。野良猫ファーストというご近所さんも迷惑です。私の思いファーストも,ストーカされる側には迷惑です。冗談半分ですが,あり得ます。
 ○○ファーストを私ファーストとしてみると,我先にと訳すことができます。礼を失した破廉恥な振る舞いが思い浮かんできます。そうであると言い切れないにしても,どこかで胡散臭さを感じてしまいます。論説でも,「何がファーストで,何がファーストではないのか」という,問題意識が語られています。何かをファーストにするためには,他の何かを阻害したり無視したりすることが起こる危惧があります。
 アメリカファースト,ヨーロッパファースト,イギリスファースト,北朝鮮第一,その動きが目指しているのは? そんな大きな動きは分からないと,小さな自分ファーストに閉じこもってしまうのはどうなのか?

ご意見・ご感想はこちらへ

(2017年09月17日号:No.912)