家庭の窓
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「スマホの時間 私は何を 失うか」。そういうポスターがあるそうです。日本医師会などが,視力の低下や脳へのダメージなどを警告する趣旨だということです。スマホの先にある世界で暮らしていると,こちらの世界に生きる力が衰えてくるはずです。失っているのは,自分の命です。命は人の五感を通して生の環境につながることで維持され洗練されていきます。風を感じ花の命を香りとし日差しを肌に受けて自然と同化することが生きる喜びを育みます。
インスタ映えという現象には,何が詰め込まれているのでしょう。「いいね」がいっぱい,フォロアーが大勢いると金儲けができるという商売の世界なら,それはそれでどうということはありません。ただ,日記代わりの記録とか,なんとなく見て欲しいだけとか,うらやましがられたいとか,目的が曖昧な所業なら,失う時間との勘定は赤字になるでしょう。
「ルビンの壷」という白黒で描かれた壺の絵があります。白い部分を見ると壺にしか見えませんが,黒い部分をみると向かい合う人物のシルエットが見えます。一つの絵が反転するとまったく違うものに見えます。人の認識は,両方を同時に見ることはできないのです。視線を一度外して,どこに着目するかを別に選んでから見ると,違った絵が見えてきます。その視点のずらしは,失ったもの,見えていなかった自分の世界を見つける端緒になります。
衆議院選挙の分析として,若者に保守支持が多いということが意外性として語られています。若者の意識は,とりあえずは現状のままでいい,改革は混乱を生むので嫌ということのようだと推察されています。ところが,若者は環境,社会保障,労働という面に具体的な関心が高いという実態があります。そのような身近な問題を社会の皆の力で解決していくことが政治であるという世間の実態が見えていないだけです。政治は自分とは無関係の世界,そういう風に思い込んでいる,思い込まされてきた,その失った時間を取り戻すことができるように,大人が導いてやることです。
便利な世界,便利な機器,それはよいとして,肝心なことは,どのように使い回すかという,使用法の適否です。使い方を誤ると,人に優しいものでも人を傷つけるようになります。便利さを選んでいくと,選ばれなかった不便さの中にある大切なものを失っていきます。大事なものは手間暇の掛かるものである,そういう経験的知恵を思い出すことです。
限られた時間を無駄にしないためには,時間の偏食をしないと心がけることです。食事における主食のように,味がないから,おかずの濃い味から解き放たれて,味覚を正常に保って,栄養の偏りを免れていることを想起することです。
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