家庭の窓
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役目として中学生の県レベルの作文審査に関わり,優秀者の朗読発表会に出かけました。7名の表彰者の全てが女子生徒でした。懇談の中で審査委員の一人は,「勤め先の審査でも優秀な論文を選ぶと女性ばかりになることが納得できた」と感想を述べていました。自分を語る力は女性の方が秀でているのでしょうか? 口では負けると思っている男性も多いようです。話が横道に逸れているようですので,行を改めます。
発表会を終えて帰宅のために駅で電車待ちの間,審査委員長と出会って立ち話をしました。話が途切れたとき,先ほどまでの共通の経験である発表会の感想を話題にしようとしました。「作文も直接話されるのを聴くとずいぶんと受け取り方が変わりますね」という感想に,委員長も同感され,しばらく話が弾みました。二人とも,審査の際に原稿用紙に書かれた作文にしっかりと目を通しているので,耳で聞く作文との比較をすることができたからです。
言葉を分けると,書き言葉と話し言葉があるということです。かつて言文一致という運動もありましたが,日本語の特徴です。虫の声を聴いて感情を動かす日本人と,雑音としか感じない西洋人ということが言われることもあります。日本人は虫の声を右脳で聴いているからと説明されます。耳から入ってくる言葉を左脳だけで聞き取るのであれば,目からの言葉を読み取るのと同じになるはずです。そのような推論が成り立つかもしれません。
朗読された作文は,話し手の声の抑揚,話し手の間合い,話し手の言葉の選び方とつなぎ方,話し手と一体となった言葉が伝えられます。文字通り本人の意見として届いてきます。一方で文字に変換された作文は,書き手を離れてしまった言葉の羅列です。読み手は,読み手の抑揚や間合い,言葉のつながり方で読み取るしかありません。たとえとして適当ではないかもしれませんが,朗読は温かい料理,作文は冷めた料理,といったことで分かっていただけるでしょうか。
駅での立ち話では,作文として審査するのではなく,目の前で発表してもらうという審査をした方がいいのかもしれませんね,という話になり同意し合いました。もちろん,いずれも作文としても優れていたから表彰されているので,審査の上では問題はありません。作文として優れていると評価した作文が,朗読という形に変わると,より一層と命が満ちてくると感じられた経験でした。
言葉は人と結びついているときに輝くものです。同じ内容のことでも,話す人によって伝わるものが違うということがあります。ということは,文章を書くときは,かなり割引されてしまうということを覚悟しなければなりません。文章がいいなと思ったときは,是非直接話を聞いてみるということもお勧めです。スマホの文字だけでは人のぬくもりは伝わらないのです。
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