家庭の窓
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お正月を迎えるために大掃除をするのが年末の恒例ですが,体力に合わせて年々規模が縮小してしまっています。昨年は手抜きをしていたファイルの整理を,今年は手入れせざるを得なくなりました。ファイルがあふれて,格納できなくなってきたからです。複数の役を受けているので,書類が積み重なってきます。古いファイルを破棄することにしました。書類をパラパラと確認していると,必要となる書類に目がとまります。抜き出していきます。他に見落としがないかと思ったりしますが,それを気にしだすと作業は進まなくなるので,いい加減なチェックのままで,廃棄の束に括っていきます。
ここ2〜3年の間に見返していないファイルはこれからも出番はないと見なすことが,廃棄の扉を開くことになると思っています。以前も,同じ思いで書類を廃棄したのですが,1か月後に,廃棄したファイルにあるはずの書類が必要となり,情報を探している人の依頼に応えることができず,悔しい思いをしたことがあります。そういうケースは希有のことであろうと,高をくくっていますがどうなんでしょう。繰り返さないことを祈るだけです。
随分と切り捨てたつもりでしたが,片付けを終わってみると,収納は目一杯の状態です。あふれ出していたものが居場所を得たということのようです。来年に入手するはずのファイルは,どこに行くのでしょう。先が思いやられます。目を転じると,購入したままで読破していない書籍が少し場所を占有しています。読めば場所を空けてくれるので,書類が収まるはずです。空き時間にちょっとずつ読んでいる状況なので,なかなかはかどりません。どちらが早いか,成り行きに任せることにします。
限りある容量,それは部屋の空間だけではありません。人の記憶,人の心,そんなものにも容量があります。記憶の容量が縮小し,新しい記憶が場所を得ずに収まりきれないと,認知症となります。強烈な体験をして心に傷ができてしまうと,一部に容量の欠損が生じて,心が小さくなります。心を広くすることが人付き合いで求められますが,わだかまりという部分が心を占有していると,心は狭くなります。何かの節目を契機として,古いわだかまりを廃棄することができたら,容量が増えて新しい喜びを受け入れることができるはずです。
昔必要だったもの,これから先に必要となるかもしれないもの,そのような今必要としないものは,廃棄してみることです。必要なときに,また入手すればいいのです。人が抱えることのできる容量,限りがあることを上手にやりくりすることができたら,身も心も軽くなって,穏やかに生きていくことができることでしょう。人は旅人であり,旅の荷物は今必要なものだけでいいのです。
年の瀬に,忘年会が開かれるのも,心や気持ちの容量を増やすために,忘れていいことを忘れてしまうためです。息を吐かないと,新鮮な空気は取り込めません。身の回りの品物を整理する行動によって,自分の中で古いものとつながっている部分を解き放っていければいいですね。心を開いて,新しい年を迎えることにしましょう。
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