《喜びは 生きやすさより 生きにくさ》

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 すき込まれた田んぼに雀一家が訪れていたのですが,ある日突然に鳩の群れが来襲してきました。群れが空中に渦を描きながら着陸し,地面にくちばしを刺すようにそこここを漁っています。二番穂からこぼれ落ちた米粒を食べているのでしょう。写真は群れの一部です。

平成30年度の田に鳩来場です
 側では2羽のカラスが鳩に臆することなく,落ち着いて餌を啄んでいます。一つの餌場を共有していますが,早い者勝ちという状況です。鳩の襲来は1日だけでした。1面の田んぼのあちこちに群れの隊形を崩さずに舞い降りていたので,食べるだけ食べ尽くしたということでしょうか。雀一家の分が残っているといいのですが。
 人は田んぼの収穫を保存して長持ちさせるという農耕生活を営んでいますが,鳥たちは収穫の時期だけに依存する採取生活をしています。お米の立場になると,採取され尽くされるのは本意ではありません。次世代につなぐための米粒なので,食べ残されることが大事です。だからといって,米粒が鳥たちに食べられないように,土の中に潜り込むことはできません。雨や風といった自然の動きによる助けが頼りです。それぞれがゆったりと生きていく自然界のいい加減さによって,共存できています。
 人の生活を人の世界で完結させようとしていると,バランスを欠いたものになっていくことが危惧されます。地球環境という中でバランスがとれていないからです。例えば,人は米と小麦に偏った食料生産に依存しています。穀物類はもっと多様であったはずですが,おいしさや生産効率という自然の生態とは無縁な選択をして,大事なバランス素材を喪失してしまっています。
 今の環境に適合している食材は,環境の変化が起こると全滅します。今の環境にかろうじて耐えている食材を残しておくと,それが変化に適応できる食材として交替してくれるはずです。地産地消という環境バランスの中で生きている食材に寄り添う生活が,生きる力の源になると考えてみましょう。所変われば品変わる,皆と同じであるという楽で一辺倒な暮らしではなく,少しの不便に苦労をするとしてももっと多様な暮らしの方が面白いと感じる強さが,豊かな人生をもたらしてくれます。

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(2018年01月14日号:No.929)