家庭の窓
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一週間をあれやこれやの活動をして過ごした後,ふっとした空白の時間が訪れます。頭が疲れて,なにも考えたくないという状況になります。そんなときには,身体を使う活動をするようになります。仕事をしているわけではないので,掃除や片付けなどの家事が中心になります。今月はご近所地域の月当番でもあり,町内会費の集金もしなくてはなりません。留守のお家もあるので,あっさりとは片付きません。
年度末ですので,組織の役割を引き受けていると,締めくくりをしなければなりません。整理し判断し処理をすることがあります。あれこれ判断する必要があるのですが,疲れているので,放置することになります。その足踏みの時間が無駄ではないかという気持ちになります。そう思ってしまうと焦ることになるので,屁理屈を考え出します。それは寝かせるということです。料理の際に処理を中断して寝かせるといって放置します。その間に熟成が進むということです。
関わっている組織の中枢にいるので,全体を動かしていく筋道を描かねばなりません。環境の状況変化の中で,どう動いていくか,理想ではなく現実可能な筋道でなければ皆がついてくることができません。全国の動き,県の動き,末端の組織の動きを円滑につないでいく処方箋を描く節目に立っています。これからその処方箋を決めていくために,様々な情報を受け止めてきましたが,その情報の整理を進ませるために,一時頭の中で寝かせておこうということです。
重要な情報は明確さを増し,そうでもない情報は薄れてきて,考察を始めたときに,思い出される濃淡が現れてくるでしょう。書類上には文字情報として同じ濃さで並んでいる情報が,記憶という蓄積と寝かせるという熟成を経て,生かされるべき情報の選択が可能になります。おそらく記憶の脳内ネットの中で,関連付けの選択が起こっているのでしょう。昔からいわれている「寝る子は育つ」という脳内活動の応用です。経験が睡眠中に整理されるのです。
哲学の道を散歩するというのも,意識して考える作業の他に,頭の中の刺激回路の活動に処理を任せるという補助思考を期待することです。ひらめきとして表立ってくることもあるでしょうが,眠らせた後にごく当たり前のように現れてくるので,普段は影の処理が働いていることに気がつかないでいます。考えるだけ考えた後,一晩寝かせるという処理は案外と有効です。寝不足しないことです。
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