《喜びは 伸ばした手と手が 重なって》

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 役目柄,あれやこれやの会合や事業に参画し,専門の方のお話を伺う得がたい機会があり,とても楽しみです。門外漢として学ばせていただくのですが,「そうか,そうなんだ」という新しい知見に出会う刺激が何よりも幸せな瞬間になります。現象として起こっていることを眺めているだけでは分からない意味を,比較や推論,確認や考察といった知的な営みを経て結晶化した知恵として頂いて帰ります。
 知恵を受け取った者として,その知恵をどのように扱っていけばいいのか,何をすればいいのかという課題に否応なしに向き合うことになります。お話を聞いただけに終わるのは,学ぶ者としての礼を失することになります。門外漢であるという立場では,直接的に知恵を活用できるものではありません。最低限出来ることとしては,教わった知見を役立てることの出来る人に伝えることです。自分には使えないが,あの人なら役立てることが出来る,そういう学びもあっていいでしょう。
 限られた時間で提供して頂く情報は,聞く方にはあれこれ沢山あるように思いますが,話す方からすれば一部でしかありません。全部話すとすれば数時間以上を費やすはずです。関連する情報を入れると,どんどん長くなります。いわゆる裾野がお話にも広がっているのです。その裾野が自分の関係分野につながっていると,そこからお話を自分の世界に繋いでいくことも可能になります。人は専門だけに生きているのではないからです。
 ある組織の代表である自分,組織のただの一員である自分,一住民である自分,大人である自分,夫である自分,親である自分,子である自分,ボランティアの一員である自分,擁護しつつ擁護される自分,人は様々な自分なのです。ということは,つながっている人はとても多様な沢山の方々ということになります。大きな世界とつながっているのです。意識するかしないかの違いでしょう。世間様,何かのご縁といった言葉に込められていたつながり意識は消えてしまいました。
 人間。人の間と書きます。「間」という文字に込められている意味は? 間にはつながりがあるはずです。それは両者が手を伸ばさなければ,つながりにはなりません。

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(2018年02月25号:No.935)