《喜びは ときに異界に 入り込み》

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 ボランティア活動の地域の夜回りに出かけるために,玄関を出て鍵をかけます。立ち止まって空を仰ぎます。暗い闇の彼方にかすかな星光が瞬くと,出発です。雨が降っていないかどうかのチェックです。通りに出て,開けた視界の向こうに満月を見つけます。懐中電灯の充電のハンドルを回しながら歩いて行くと,月が真横でピタリとついてきます。子どもがNHKの夏休み子ども電話相談で,なぜ月はついてくるのかという質問をしていたのを思い出しながら,答えようとしています。
 歩いている自分の影が,月の方角に沿っていないことに違和感を感じて,影の反対側に視線を移すと明々と輝いている街灯が目に入ります。人工の光に負けている月光ですが,街灯が届かない空間では,淡い影が共に夜回りをしています。次の街灯まで同行します。
 裏通りに入ると,田んぼの闇が片方に,アパートの窓から漏れる室内光が片方に並んでいます。行き交う人はほとんどいません。それぞれの都合によって,2人か3人での夜回りです。10年以上も続いていますが,ほとんど事もなく済んでいます。これまでの出来事としては,車の室内灯の消し忘れ,公民館の鍵の閉め忘れ,防犯灯の故障による暗闇などがあったことです。
 寒い冬が過ぎて,少しは歩きやすくなってきました。歩いている内に温かくなるのも,ボランティへのご褒美です。静かな路地をめぐって,木々が醸し出す季節の香りに包まれることもあります。明かりがついていない家の主が入院していると聞いていて,ある日明かりがついていると,よかったと通り過ぎていきます。見慣れていた風景が様変わりすることもあります。住んでいる人がいなくなって家がなくなり,更地になり,やがて新しく家が建っていきます。側を通ると忍ばれます。
 自然の中を徒歩でたどり,ゆったりと流れていく時間を感じていると,気持ちが素直になります。あくせく人がいくらジタバタしても,月の位置は変わりません。もっとゆったりと生きていくのいいのかな,そう思わされます。夜回りを終えて玄関を入ると,浮世の目が覚めてしますが?

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(2018年03月04号:No.936)