《喜びは あれっと驚き そう言えば》

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 ガラス戸の先にある枝に,すっとウグイスが止まって,揺れています。いつもは雀が休んでいた枝ですが,訪問客が入れ替わりです。気がつけば,枯れた風の枝に,ぽつりぽつりと膨らみが現れています。春という名の季節を迎える準備をしているのか,春を感じて目覚めているのか,変わり映えのしない人の世のすぐ側の世界は,ゆったりと巡る季節のリズムを刻んでいます。ウグイスは,近所で咲いている梅の花を巡る途中に,立ち寄ってくれたのでしょう。
 一つのテレビ番組での出来事を伝えるネット記事がちょっと気になりました。昔話桃太郎の話の中で,桃太郎が犬,猿,雉にきびだんごを与える際に,「鬼退治に付いて来るなら」という条件をつけたことを,さんまさんが異を唱えたということです。無条件に与えればいいということのようです。さらに,鬼を退治するという武力ではなくて,話し合いをするという方が,子どもに聞かせる話としてはいいと思うと,ゆうこりんが語ったというのです。
 二人の言っていることに賛同する人が多いということです。聞き覚えている桃太郎の話をそういう風に思うこともできるということの気づきと,それもありという同意が得られているようです。昔話を語り継ぐ中で,常にその時代に馴染むように形が変わっていくこともあるはずです。今後,桃太郎がどのように変わっていくのでしょう。ただ,昔話はそのままに語り継ぐから昔話であるということもあります。望ましいことを教えるものではなく,現実社会を切り取って考えさせるものでもあります。
 考える道具としての言葉があります。言葉を知らないと考えることができません。物事を言葉で定義することで,考察が始まります。言葉は違いを捉えます。寒いとか暑いとか言いますが,暑くも寒くもないことを表す言葉はありません。高いとか低いと言いますが,ちょうどの高さは意識する必要が無いために,言い表すことはありません。数字も在ることを表すために1,2,3・・・としていますが,無いことを表す数字0は,かなり後世になって考え出されました。普通の,当たり前の世界は,意識に上がりません。何か変わったことが在るとき,あれっ何と気づき,言葉で表現してきたのです。
 言葉を使って話をするときには,言葉にしていない世界が陰に在ることを忘れないようにした方がいいでしょう。変化が見えたときは,変化していないものに意識を向ける良いきっかけになります。

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(2018年03月11号:No.937)