《喜びは 素直な勇気 少し持ち》

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 温かくなり始めていたのに,急に2月の温度という日がやってきました。会う人毎に「寒くなりました」という言葉が行き交います。お相手が同年配の方であれば「身体が付いていきません」と,分かっていただけそうなお返しをしています。これがごく普通のやりとりであると信じていますが,近くに住む者同士だからという前提があることを普段は意識していません。遠くの人との機器を通じた話では,寒さの程度が全く違うはずです。北国の方の感じる寒さに比べると・・・ということです。
 所変われば品変わるということは,言葉にも起こってもいいでしょう。土地毎の言葉,方言があるように,同じに見える言葉でもその意味合いが異なることを想定する必要がありそうです。土地に限らず,それぞれの人が馴染んでいる環境の多様さも配慮すべき因子になります。世代が違うと言葉も違うということも経験するところです。仲間内で通用する隠語もあります。それでも,通じるから言葉であるという原則は最低限の認知です。
 何事かを正確に了解しようとするなら,使う言葉の定義を厳格に確認することから始まります。普段はそこまではしません。例えば前述の「寒い」というのは,何度以下のことか決めかねます。人それぞれであり,地域それぞれであり,前後の気温にも寄るでしょう。家族といっても,夫婦ふたりの家族から,3世代の家族,世界には一族という家族もあるようです。時計といっても,腕時計から置き時計や柱時計,時計塔の時計,アナログ,ディジタル,それぞれのイメージは異なっています。そこで,おじいさんの形見の金の懐中時計と,説明をすることになります。
 言葉の余裕,曖昧さが,時には人を惑わします。特に言葉が感情に触れるようなときは要注意です。言葉の受け止め側が意図の勘違いに至ることです。そのようなつもりはなかったと確認ができるならいいのですが,当事者同士ではそれができないことが多いでしょう。一つの可能性は,素直になることです。素直ではないと素直に受け止めることができなくなり,閉じこもることになっていきます。開いておくことです。心を。多少の冷たい言葉も溶かすことができます。

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(2018年04月08号:No.941)