《喜びは 背伸びできずに ありのまま》

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 政府高官のセクハラ辞任が騒がれています。関心を持って情報に目と耳を向けているわけではないので,風聞と同じ程度の聞き取りです。高官と記者という関係は,それぞれの職務上ではある意味で上下関係になります。情報を持っている高官と,その情報を聞き出したい記者という関係です。その関係はお互いに了解済みでしょう。そこに信頼という橋が架かるといいのでしょう。そういう世界には馴染みがないので分かりません。
 そのごく普通の関係に,時代劇の定番である,お代官さまと商人のやりとりである「魚心あれば水心」が迷い込んだようです。公的な関係に私的な欲望が紛れ込むと,腐臭が漂い始めます。仕掛けた方は臭いが漏れるのを警戒しますが,相手の方が臭いに耐えられなくなると,漏らさざるを得なくなります。公的な場と関係を私的な場と勘違いする愚かさは,学歴とは無関係です。どのような育ちをしたのか,親の顔が見たいといわれるはずです。
 礼儀を弁えない高官は,小さな隙間を誇大に吹聴して,己の乱心を煙に巻こうとあがきます。録音された声は,自分の声とは思われないと。私が納得しないことは認めないという幼さを露呈しています。学歴という衣を羽織っている中身が,その程度の人物であるとばれてしまって,身の置き所を失ったせいで辞任したのでしょう。そういった流れが常人の感覚になります。
 他人のことをあれこれこうだろうと言いつのることは簡単です。当人ではないので,勝手な筋書きを押しつけることができるからです。当人にすれば,全く違う筋書きなのにと思うことになることでしょう。ただどちらも事実からは離れているのだろうと思います。当人の筋書きも自分可愛さというフィルターを免れません。他人の筋書きもごくありふれたものに流されていきます。自他の思惑や行動について語るときの曖昧さを怖れていないと,無意識のフェイク情報をまき散らすことになります。

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(2018年04月22号:No.943)