あるボランティア団体の総会で来賓としての挨拶をすることになりました。来賓挨拶は幾度となく依頼されることではあるのですが,珍しく他の挨拶をするはずの来賓が都合により欠席ということで,ただ一人の挨拶になりました。少し時間もあるだろうと勝手に思い込んで,お話をしてみようという気になりました。
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それぞれの席に花の苗が一つずつ置かれています。その花について,お話をしてみようと思います。サクラの花は散りました。花が散った後の桜の木を,気にすることはないでしょう。サクラの木があることなど忘れているかもしれません。なぜ私たちは花に拘って意識しているのでしょう。花とは一体何のために咲くのでしょう。
花は植物が命をつなぐために実をつける営みを始めようと咲きます。受粉をしなければなりませんが,自分ではどうにもなりません。誰かに受粉を手伝ってもらわなければなりません。「助けて」というメッセージです。目につくように,私を見て,声を聞いてといっているのです。その生きるためのメッセージを聞き取る感受性が,人に残っていて,美しいという反応をしているのです。
受粉を手伝ってくれた他者に,花はありがとうと感謝の印として蜜を用意してくれています。ただ,花は待っているしかありません。つまり,ありがとうという言葉は待っている言葉です.誰かがどうぞと助けてくれたときに,ありがとうが生きてくるのです。どうぞという言葉はプリーズと重なるとすれば,それは人を喜ばせるという意味を持ちます。どうぞがあるから,ありがとうが日の目を見ることができます。
ボランティアの皆さんは,周りにいる方の助けてほしいという花を見つけて,どうぞと手を貸してあげる,そこにありがとうと感謝という関係の構築が完成します。助けてという花を見つけることが,地域の人間関係を豊かにする思いやり能力になります。
地域でたくさんの花を見つけて,ボランティア活動が心豊かに生きることにつながるように期待しています。
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前後にお祝いや幸せを願う言葉がくっついていけば,祝辞という装いが整います。美しさを感じることは楽しみなどではなく,生きることそのものなのです。